子どもたちが自分で作った弁当を学校に持ち寄って食べる「弁当の日」が、2001年10月に香川県綾川町で始まって25年を迎える。食育の一環で生まれた活動は全国の2400校以上で実践され、書籍、映画にもなった。関係者は「子どもが台所に立ち、家族で食事をとる社会」の定着を目指す。
親は手伝わずに見守るルール
弁当の日は2001年、滝宮小(綾川町)の校長だった竹下和男さん(77)が提唱。小学5、6年生が年5回、献立を考えることや調理、後片付けなどを担い、親は手伝わずに見守ることをルールとした。家庭の協力も得て、子どもの段取りをする力や想像力、創意工夫を育もうとした。「食事を作る親や食材への感謝の心も養われ、周囲から愛情を注がれた経験は次の世代にもつながる」。竹下さんは食育に関して長期的な視点で捉えた。
「『金鉱脈』を見つけた」。その頃、西日本新聞(福岡市)の記者として特集企画「食卓の向こう側」を担った佐藤弘さん(65)は竹下さんを取材し、こう感じた。企画で食を巡る問題を提起したものの、実効性のある対策を示せていないとのもどかしさがあった。「その答えが弁当の日だ」。2006年に企画の中で取り上げた。反響は大きく、佐藤さんは「地方の小さな学校の取り組みが、全国で共感を呼んだことに感動します」と振り返る。
「はなちゃんのみそ汁」と映画化
乳がんを患い、余命を意識した安武千恵さん(故人)も竹下さんの考えに感銘を受けた。「食べることは生きること。私がいなくなった後も、娘が生きていける力をつけられるように」。娘のはなちゃんが5歳になると、朝食のみそ汁作りを日課にした。
安武さんの夫で西日本新聞記者だった信吾さん(63)は、安武さんとはなちゃんのやり取りを紹介したノンフィクション「はなちゃんのみそ汁」を執筆し、2012年に出版。映画化され、ヒットした。信吾さんは、安武さんが竹下さんの著書に線を引いて熟読していたことを知った。「弁当の日を広めることは妻の思いを紡ぐことになる」。ドキュメンタリー映画「弁当の日」を制作し、2021年に公開。昨年10月には発祥地・綾川町でも上映会が開かれた。
課題と今後の展望
竹下さんは、すべてが順調ではないと指摘する。教諭の異動やPTA役員の交代に伴い、活動が急速にしぼんだことがある。コロナ禍を受けて取りやめた学校もあったという。竹下さんは食育での弁当の日の意義を訴えようと、全国で2700回以上、講演をした。「『面倒だ』と反対したり無関心だったりする人は必ずいる。普段から『なぜやるのか』を確認する働きかけは欠かせない」と強調する。佐藤さんも同じ考えだ。
竹下さんは多くの人に弁当の日への思いを再確認してもらおうと、綾川町での上映会後、高松市内でパーティーを開催。県内のほか、福岡や大阪、青森、沖縄などから約200人が集まった。今年5月には信吾さんが福岡市内で同様の集いを企画。来年は島根県、2028年は三重県で開く予定だ。
竹下さんは語る。「理想は子どもが台所に立ち、家族だんらんの食事をとるのが当たり前の社会。『弁当の日』が特別でなくなることが夢です」
亡き母からの学び
安武はなさん(23)が読売新聞の取材に応じ、みそ汁作りを通じて母から学んだこと、得たものを教えてくれた。みそ汁作りの時のお母さんはすごく厳しかった。丁寧に教えたり、手伝ったりしてくれない。「はなちゃんが自分で考えてね」って。みその量、豆腐の大きさ……。何回も何回も失敗はするけど、そうするうちにおいしいものが作れるようになった。
段取りや考える力が身についた。食事が用意されていない時も、困らない。みそ汁とご飯は作れるから、生きていけるって思える。生きていく力を授けてくれた。お母さんが亡くなった後、お父さんは泣いてばかりだった。そんな時でもみそ汁を作ると、笑顔になってくれた。「おいしい」と言って喜んでくれることによって、自分が生まれてきた意味が実感できた。(映画のヒットは)プラスだけじゃなく、嫌なこともあった。けれど、たくさんの人と出会えたのは大きな財産。お母さんのおかげです。



