小竹向原はなぜ再開発されないのだろうか。東京都練馬区と板橋区の境目に位置する小竹向原駅周辺は、長年にわたり大規模な再開発が行われていない。その背景には、駅の開設時期の遅れや小学校による土地占有、住民の反対運動など複数の要因が絡み合っている。
駅開設の遅れが再開発を阻む
小竹向原駅は東京メトロ有楽町線と副都心線の駅だが、開設は1983年と比較的遅かった。周辺地域は戦後急速に都市化が進み、1955年から1964年ごろにかけて多くの学校が新設・増築された。小竹向原駅前の一等地は、向原小学校や小竹小学校の校庭として占有されており、再開発の障害となっている。
小学校が駅前を占める
両校の開設は、1955〜1964年(昭和30年代)に急速な都市化が起こり、学校の新設・校舎増築が行われた時期と重なる。再開発の格好の地である駅前一等地の大部分を小学校が占めているのだ。
幹線道路に対する反対運動
4つ目の理由は、放射第36号線(通称要町通り)の整備にあたり、沿線利用を望まない住民の要望が反映される形で道路が建設されたことである。放射第36号線の原型は1927(昭和2)年に幅員15mで都市計画が決定され、都の幹線道路の見直しがなされた直後の1966(昭和41)年に40mの幅員で計画決定された。
小竹向原駅周辺では、向原小学校、小竹小学校の校庭を横切る計画であった。営団地下鉄8号線(現・東京メトロ有楽町線)がこの道路の地下を通って延伸される計画が決定しており、1970(昭和45)年頃、道路整備を地下鉄8号線との同時施工にする方針となった。
この頃から、小竹町などの主婦たち住民有志「放射35・36号道路対策住民協議会」による住民運動が起こった。その運動方針は放射第36号線の幹線道路としての沿道利用を望まず、公害を防ぎ、住環境の保全を図ることである。当時は自動車による公害に対する住民の関心が高まっている時期だった。
都と住民の話し合いの結果「緑の町造り計画」が進められる
住民運動の結果、東京都と住民の間で話し合いが行われ、幹線道路沿いの開発を抑制し、緑地を保全する「緑の町造り計画」が進められることとなった。この計画により、小竹向原周辺は大規模な商業施設や高層ビルの建設が制限され、現在の落ち着いた住宅街の景観が維持されている。
再開発が進まない理由は、駅開設の遅れ、小学校による土地占有、住民の反対運動とそれに基づく計画変更の3点に集約される。これらの要因が複合的に作用し、小竹向原は今日まで大規模な再開発を免れてきた。



