「おじさんのハーフパンツはキモい」「生脚を見たくない」「ボディバッグはダサい」――こうした声がSNSやメディアで飛び交う光景は、もはや日常的だ。文筆家の御田寺圭氏は、この現象を「平時には他人の容姿を云々することが倫理的に許されない時代であっても、『おじさん』に対してはそのコードが緩くなる」と分析する。
「ハーフパンツおじさん論争」が浮き彫りにするもの
発端は東京都庁のクールビズでハーフパンツが解禁されたこと。これを受け、メディアやSNSでは「おじさんのハーフパンツは是か非か」という議論が沸騰した。暑いのだから脚を出してもいい、いや年配男性の生脚は見たくない、清潔感があれば問題ない、そもそも他人の服装に口を出す方がおかしい――様々な意見が飛び交った。
御田寺氏は「重要なのはハーフパンツが是か非かではなく、おじさんに対してだけ倫理的コードが緩くなり、人々が本音をぶちまけてもお咎めがないことだ」と指摘する。
「休日のパパ」ファッションへの集中砲火
ハーフパンツに限らず、最近のSNSでは「ショッピングモールにいそうなおじさんの格好が嫌い」という話題が盛り上がった。ライトブルーのシャツ、ベージュのチノパン、スニーカー、縦型ボディバッグ――いわゆる「休日のパパ」スタイルの画像が拡散され、「ダサい」「キモい」「田舎のイオンにいそう」といった言葉が投げつけられた。
御田寺氏は「もしこれらの言葉の主語を女性や若者、特定のマイノリティに置き換えたらどうなるか。多くの人が暴力性に気づき、SNSなら大炎上必至だ。ところが『おじさん』になると、単なる軽口や『あるあるネタ』として処理される」と述べる。
なぜ「おじさん」だけが標的になるのか
御田寺氏は、この現象の背景に「おじさんは強者として扱われる」という認識があると分析する。社会の中で相対的に力を持つとみなされるおじさんを批判することは、「強者へのツッコミ」として許容されやすい。さらに、おじさん叩きは「ルッキズム批判」と「強者批判」を同時に満たす一石二鳥の行為として機能しているという。
「おじさんは『強い側』として扱われるため、批判しても倫理的問題になりにくい。しかし実際には、個々のおじさんは弱い立場にあることも多い。このダブルスタンダードは、おじさんたちに過剰な気遣いを強いる日本社会の異様さを映し出している」と御田寺氏は指摘する。
「ボディバッグはダサい」という言葉を無視していい理由
御田寺氏は最後に、おじさんたちへのエールを送る。「他人のファッションをとやかく言うことは、結局のところ自分の価値観を押し付けているに過ぎない。自分が快適で、清潔感を保っていれば、それで十分だ。『ボディバッグはダサい』といった言葉は無視していい。大事なのは、他人の目ではなく、自分自身の納得だ」と締めくくっている。
この問題は、単なるファッション論を超えて、現代日本におけるポリティカル・コレクトネスの適用の歪みや、世代間・ジェンダー間の無意識のバイアスを浮き彫りにしている。



