2024年元日の能登半島地震で、七尾市立和倉小学校と和倉コミュニティセンターには、地域住民や帰省者、宿泊客ら合わせて約2000人が避難した。想定していた住民約500人の受け入れを大幅に上回る事態だった。
階段が崩れた旅館では、窓から客室の布団を投げ落として避難所へ運び、浴衣や値札の付いたままの売店の服を避難者に配った。隆起し液状化した路面を、暗闇の中でスマートフォンのライトで照らし続けた従業員もいた。各旅館の従業員の機転を利かせた行動が、死傷者ゼロにつながった。
全加盟旅館に配布
7月下旬、災害時の初動対応をまとめた旅館向けの共通マニュアル(A4判、全14ページ)が、和倉温泉旅館協同組合の全加盟旅館に配布された。地震の避難はうまくいったものの、結果は奇跡にすぎず、同じ規模の災害が再び起きた場合に同じ行動ができるか分からないという思いから、従業員らが当時の行動を振り返り、どの旅館にも共通する最低限の備えや避難手順を1年間かけて洗い出した。東京海上日動火災保険七尾支社や中小企業基盤整備機構北陸本部(金沢市)も作成をサポートした。
地震直後、避難所となった和倉小の職員室に詰め、住民と旅館の間の調整役を担った同組合の事務局課長、平野正樹さん(49)は「当時のことを忘れないうちにつぶさに聞き出し、項目に落とし込んでいただいた」と感謝する。
反省を反映
被災した当事者でありながら、それぞれが役割を精いっぱい全うし、難局を乗り切った。発生翌日の明け方、旅行者が帰宅できるめどが立ったことを校内放送で伝えた時、廊下から聞こえた歓声を平野さんは今でも覚えている。
ただし、何もかもうまくいったわけではない。断水でトイレが詰まり、校舎裏に用を足すための穴を掘ったが、衛生上の懸念から、2年半以上が経過した今も児童が近寄ることはない。各旅館の上層階に旅行客らを誘導し、避難所への過度な集中を防ぐことができれば、小学校の再開を早められたかもしれない。
「あの時の初動が全て正解だったとは思えない」。だからこそ、そうした反省や後悔をマニュアルに反映させた。トイレが利用できない場合の対策として、便器内にビニール袋をかけてペットシートや凝固剤を用いて処理することや、大浴場の湯などで便器を水洗することを明記。津波浸水想定の地図も掲載し、垂直避難を含めた状況ごとの避難方法を事前に整理しておくよう指南した。
「奇跡じゃなく必然に」
地元町会も避難所運営に関するマニュアルの作成を進めている。町会と旅館側による合同訓練などを通じて、「まちまるごとBCP(事業継続計画)」として完成させていく予定だ。
平野さんは言い切る。「次に災害が起きたら、奇跡じゃなく『必然』にする。マニュアルはその第一歩だ」(高野珠生)



