津波から身を守る「津波救命艇」の導入が、太平洋沿岸部を中心にじわりと進んでいる。今年4月の三陸沖を震源とする地震で津波警報が発表されるなど、津波を伴う地震は最近も相次いでおり、高所避難が難しい高齢者らを抱える自治体や民間施設が活用を模索している。ただ、普及には国の支援が乏しいなどの課題もある。
北海道浜中町で避難訓練
5月24日、太平洋に面した北海道浜中町の榊町地区で避難訓練が行われた。防災無線から「訓練、訓練。緊急地震速報」と音声が流れると、住民らが沿岸部にある全長約9メートルの津波救命艇(定員25人)に乗り込んだ。同町では66年前のこの日、チリ地震の津波で11人が犠牲になった。日本海溝・千島海溝地震では発生から約30分後に最大20メートル超の津波が到達すると想定されるが、同地区から浸水区域外までは車で約10分かかり、住民は高齢者が多い。
そこで町は2023年12月に津波救命艇を導入し、定期的に訓練を行って避難手順を確認している。訓練に参加した松本真智子さん(74)は「足腰が悪く、津波避難タワーがあったとしても上れない。逃げ込める場所があるのは安心できる」と話した。
救命艇の特徴と普及状況
救命艇は、東日本大震災後、活用の機運が高まった。国土交通省は2014年に安全基準の指針を策定。現在は3社が指針に沿った製品を生産し、産業機械大手「ヤンマー」(大阪市)も2026年度中に参入する。救命艇は動力を持たないが、転覆しても元に戻り、沈まない設計。船体はクッション材で覆われ、内部に非常食やトイレ、救助用信号発信機を設置することが国の安全指針で定められている。
民間団体「津波救命艇の普及を進める会」(東京)によると、2026年3月時点で15隻を備える北海道をはじめ、静岡、高知など11都道府県27市町村に49隻が設置されている。
宮崎県の施設でも導入
南海トラフ地震で最大15メートルの津波が予想される宮崎県日向市の知的障害者施設「白浜学園」も、2020年に救命艇を導入した。地震発生から17分で津波が到達するが、迅速な移動が難しい入所者もおり、高台への避難訓練では最長約30分かかった。学園の担当者は「入所者の最後の逃げ道。高台避難と組み合わせ、全員の命を守りたい」と話す。
国の支援不足が課題
救命艇の導入費用は1隻約1500万~2000万円とされる。しかし、津波避難タワーと比べると国の補助が少ないのが実情だ。タワー整備には国土交通省や農林水産省などが幅広い補助金を用意している。自治体は救命艇導入のため地方債を発行できるが、指針を策定した国交省も補助制度を設けていない。津波発生時は高所避難が基本で、タワー整備が優先されてきた背景がある。
元四国運輸局長で同会代表の丸山研一さん(72)は「救命艇で住民を助けられるか疑問視する自治体もあるが、タワーと救命艇を組み合わせれば幅広い命を救える」として、国などが支援のあり方を議論するよう求める。
静岡大学防災総合センターの原田賢治准教授(津波工学)は「津波は高所避難が原則だが、到達時間が短く災害弱者もいる地域では救命艇は有効な手段となる。上ればいいタワーと比べて扉の開閉など複雑な作業もあり、有事に活用できるよう訓練を重ねるべきだ」と指摘する。
製造現場の思い
造船会社「ツネイシクラフト&ファシリティーズ」(広島県尾道市)は、岩手県山田町の工場で津波救命艇を製造している。工場長の鈴木津さん(61)は、東日本大震災で両親や当時の勤め先の部下を亡くした経験から「救命艇で多くの人を救いたい」と決意を語る。
鈴木さんは震災時、同県大槌町の企業に勤めていた。沿岸の実家にいた高齢の両親は津波に流され、父の遺体は今も見つかっていない。また、当時20歳代だった部下の男性社員も津波にのまれ、遺体安置所で対面した鈴木さんが遺体の作業服で本人と確認した。命を救う仕事をしたいと、震災から1年半後にツネイシ社に転職し、救命艇の部品の溶接作業などに携わってきた。「地震や津波から身を守る手段が必要だと感じた。防災力強化にものづくりで貢献したい」と意気込む。



