熊本県内で最大震度7を観測した地震から4日で1週間となる。被災地では倒壊した家屋はそのままで、猛暑の中、多くの被災者が避難生活を強いられている。20人が犠牲になった県南部の八代市に発生翌日の7月29日に入り、8月2日まで取材した。
倒壊家屋と余震の恐怖
7月29日朝、新神戸駅から博多駅まで新幹線で移動。福岡市内からレンタカーで八代市へと向かった。高速道路で熊本市内まで約1時間半。渋滞した一般道を約2時間かけて走り、八代市にたどり着いた。
市内に入ると、道路にせり出して家屋が倒壊し、ガラス片が散乱。地面まで垂れ下がる電線をよけながら進んだ。線路上で横転した列車、石垣が崩壊した八代城跡……。立ち尽くす人を目に、「自分に何ができるのだろうか」と不安がよぎった。
何度も地鳴りをともなった余震があった。そのたびに、ガガガ、ギギギギと木の柱や瓦が擦れ合う不気味な音が響いた。
日本製紙八代工場の惨状
煙突が折れて建物が壊れた日本製紙八代工場に向かう。門付近から、幅3~4メートルの赤と白色をした煙突が建屋の屋根を突き破っていた。10台以上の消防車両が止まり、シャベルやロープを持った消防隊員が出入りしていた。
出てくる消防隊員に声をかけると、「余震が来れば作業が止まる危険な現場」「大型の重機は入っていけない」。砂ぼこりで汚れた消防隊員はうつむき、口数は少ない。工場内では9人の従業員が亡くなった。
30日朝。水色の作業着の従業員が出入りしていた。一人ひとりに声をかけても、答えてくれない。そんななか、こちらをじっと見つめる60歳代の男性がいた。
男性は地震発生時に工場内にいて、当時の状況を詳しく話してくれた。「亡くなられた方と面識は」と記者が聞くと、「半分は、知ったもん同士」とつぶやいた。目を真っ赤にして、「今はショックで、これ以上は言葉にならんばい」。
工場勤務の経験がある男性(74)も知り合いを亡くした。「あの大きな煙突は八代のシンボル。思い出ごと失った」。その喪失感を表現するのは難しいと感じた。
断水と猛暑の避難生活
「今、お困りのことはなんですか」。記者は2022年に入社した30歳。発生すぐの被災地で取材するのは今回が初めてだった。何を尋ねるのが正解かはわからない。素直に感じた質問を繰り返すしかなかった。
被災者が口々に話したのは、水のことだ。市内では大規模な断水が続く。飲料水を確保するため、約25キロ離れた場所まで2時間かけて買いに行く人もいた。
連日の猛暑で、取材で頭痛が起きるほど。8月1日には、市中心部から車で20分の昔ながらの商店や寺院の多い鏡地区に入った。家から壊れた家具を運び出し、座り込んでいた女性(45)は「この光景が現実とは受け止め切れていない。これからのことなんて考えられない」と話した。
今後の懸念と神戸からの発信
記者の取材期間は5日間だった。猛暑の中、自宅の片付けに追われる被災者、避難所に身を寄せる高齢者、暑さを避けて車中泊をする人たち。今後は避難生活の疲れなどによる災害関連死も懸念される。一人の記者として、震災を経験した神戸から支援につながる情報を発信していきたい。



