日航ジャンボ機墜落事故から39年、遺族が安全意識向上を訴える講演を福岡で開催
日航機墜落事故遺族、安全は築き上げるものと訴え

日航ジャンボ機墜落事故の遺族が福岡で安全の重要性を訴える

1985年に発生した日本航空ジャンボ機墜落事故から39年が経過した2026年3月3日、福岡市博多区で、事故で次男を亡くした遺族による講演が行われました。この事故では乗客乗員520人が犠牲となり、当時9歳だった健君もその一人でした。

一人で初めての飛行機が悲劇に

美谷島邦子さん(79歳)は、夏休みを利用して大阪の親類宅に向かうため、初めて一人で飛行機に乗った次男の健君が事故に遭った経緯を語りました。事故後、彼女は群馬県の御巣鷹の尾根にある墜落現場まで4時間かけてたどり着き、泥だらけになりながら愛息を捜し続けました。「『けんちゃん、ごめんね』と山に呼びかけた」と当時を振り返り、深い悲しみと自責の念にさいなまれた日々を明かしました。

安全意識の向上を求めるメッセージ

講演は国土交通省九州運輸局が主催し、航空や鉄道、船舶など公共交通機関で働く事業者ら約60人が参加。オンラインとのハイブリッド形式で実施され、美谷島さんは「安全には終わりがない。安全は守るものではなく、築き上げるものだ」と強く訴えました。また、利益や効率を優先することで、地道な安全対策の積み重ねが置き去りにされてはならないと指摘し、「安全の最後の守り手は人間の意識だ」と強調しました。

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遺族としての活動と決意

美谷島さんは事故後、遺族らでつくる「8・12連絡会」の事務局長を務め、事故原因の解明や風化防止に奔走してきました。同会の働きかけにより、日本航空は事故機の保存と遺品の展示を行い、研修などに活用しています。彼女は「遺族の悲しみのトンネルはどこまでも続くが、遺族の仲間がいる中で『生きなければ』と思った。世界の空の安全を促したいという決意があった」と語り、継続的な安全対策の重要性を呼びかけました。

この講演は、公共交通機関における安全意識の向上を図ることを目的として開催され、参加者たちは真剣に耳を傾け、事故の教訓を再確認する機会となりました。

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