徳川慶喜家の5代目当主となった山岸美喜さんが、名門ゆえの重責と孤独な闘いを経て、300坪にも及ぶ墓じまいと家じまいを実行した経緯を、著書『葵の紋を継ぎまして。』(KADOKAWA)で明かした。
親族ほぼ全員が反対、それでも遺志を継ぐ
山岸さんは、徳川慶喜家初の女性当主として、先代の慶朝さん(アンクル)から託された「家じまい」を決断。しかし、その道のりは決して平坦ではなかった。長きにわたって慶朝さんを支えてきた山岸さんの実の父も、徳川家への強い思い入れから反対したという。
「兄や宗家に任せたほうがいい、墓じまいや家じまいもしないほうがいい」と父は言った。山岸さんは「こうした意見はとてもつらく、大変なことを引き受けてしまったと。でも、アンクルと多くの時間を共有し、その思いを知るからこそ、しっかりと遺志を継がなければならないと改めて決心するきっかけにもなりました」と振り返る。
「祭祀継承者はどなたですか?」——知られざる制度の壁
葬儀後、山岸さんは徳川慶喜家の墓所の土地の所有者である上野寛永寺に納骨の相談に訪れた。そこで聞かれたのが「祭祀継承者はどなたですか?」という質問だった。後に、祭祀継承者とは墓や仏壇、位牌といった「祭祀財産」を管理し、先祖供養や法要を行う人のことを指す言葉だと知った。
「初めて聞く言葉でした。遺言書と私が葬儀を出したことで、寛永寺からは仮の祭祀継承者として認められ、慶喜公の墓の左隣にある代々当主の墓にアンクルの遺骨を納めることができました。が、正式な祭祀継承者になるには、親族の合意が必要だと知ったのです」
この制度の壁が、山岸さんの闘いをさらに長引かせることになる。正式な祭祀継承者となるまでに、実に8年もの歳月を要したという。
名門ゆえの重責、そして孤独
徳川慶喜家は、江戸幕府最後の将軍・徳川慶喜を祖とする名門。その墓所は約300坪にも及び、維持管理には莫大な費用と労力がかかる。山岸さんは「家じまい」を決断した背景について、先代の慶朝さんが生前「このままでは墓も家も維持できない」と悩んでいたことを明かしている。
親族の反対だけでなく、世間の目も厳しかった。徳川家というブランドに敬意を払う人々からは「なぜ墓を守らないのか」という声も上がったという。それでも山岸さんは「アンクルの遺志を継ぐことが、私の使命だ」と語る。
山岸さんの著書『葵の紋を継ぎまして。』は、そんな孤独な闘いの全貌を描いた一冊。2026年6月27日に公開された記事では、その苦難の道のりが詳細に綴られている。



