徳川慶喜家の5代目当主である山岸美喜さんは、現在、同家の墓じまいという重責を担っている。親族ほぼ全員の反対や名門ゆえの重責と孤独な闘いを経て、ようやく道筋が見えてきたという。その苦難の道のりを語った。
大政奉還から続く徳川慶喜家の歴史
大政奉還の時点では実子がいなかった15代将軍・慶喜は、御三卿の1つである田安徳川家から家達(いえさと)を養子に迎え、徳川宗家を継がせた。一方で、慶喜自身はすべての身分を放棄し、新しく「徳川慶喜家」を興す。その後、慶喜は10男11女に恵まれた。
徳川慶喜家は、2代目の徳川慶久(よしひさ)、3代目の徳川慶光(よしみつ:山岸さんの母方祖父)、4代目の徳川慶朝(よしとも:山岸さんの母方叔父)を経て、4代目から指名された山岸さんが5代目を継いだ。
4代目当主「アンクル」の看病から始まった墓じまい
ことの始まりは、叔父の病だった。2014年の初めに慶朝さんに咽頭がんと食道がんが見つかった。慶朝さんは母・安喜子さんの弟にあたる。独身で一人暮らしの叔父の看病を引き受けた山岸さんは、自宅のある名古屋から慶朝さんが住む茨城へと通うようになった。
「叔父は母とは年が離れていて若かったので、私と兄はずっと『アンクル』と呼んできました。子どもの頃からかわいがってもらったので、自分にできることは何でもしたいと思ったんです」と山岸さんは振り返る。
看病の日々が続く中、慶朝さんから「美喜ちゃん、あとはよろしくね」と託されたのが、墓じまいの始まりだった。
親族ほぼ全員が反対、名門ゆえの重責
山岸さんが墓じまいの意向を親族に伝えると、ほぼ全員から反対されたという。「『徳川の歴史を壊すのか』『お墓を守るのが当主の役目だ』といった言葉を浴びせられました。特に年配の親族からは強い反発がありました」と語る。
徳川慶喜家は名門であり、その墓所は約300坪にも及ぶ。維持管理には莫大な費用と人手が必要で、山岸さんは「このままでは墓を守り続けることが困難になる」と判断した。しかし、伝統を重んじる親族の理解を得るのは容易ではなかった。
孤独な闘いと道筋
反対する親族を一人で説得し、墓じまいの手続きを進める山岸さん。その過程で「涙が出た」こともあったという。それでも「アンクルの遺志を継ぎ、徳川慶喜家の未来のために最善の選択をしたい」と語る。
現在は、一部の親族から理解を得られるようになり、墓じまいの道筋がようやく見えてきた。山岸さんは「まだ完全に終わったわけではありませんが、一歩ずつ前に進んでいます」と述べている。



