生涯独身だったとされる戦国武将・上杉謙信(1530~78年)に妻がいたのではないか――。そんな最新の研究成果を踏まえ、謙信の実像に迫るシンポジウムが8月30日、米沢市丸の内の伝国の杜で開かれた。
「妻がいた可能性はかなり高い」
シンポジウムは、謙信の450回忌と生誕500年に向けて市民の関心を高めようと、「上杉鷹山公と郷土の先人を顕彰する会」(小嶋弥左衛門会長)が主催し、約200人が参加した。
「上杉謙信の妻」と題して講演した新潟県上越市公文書センターの福原圭一所長は、和歌山県の高野山金剛峯寺の宿坊で発見された「越後過去名簿」に、武家の妻女を意味する「御新造」の記載があることが分かったことを端緒に、謙信に妻がいたという説が浮上した経緯を紹介した。その上で既知の史料を検討すると、謙信の妻の可能性を示すものがあったという。
肯定派と否定派に解釈分かれる
2021年以降は、謙信に妻がいたとする肯定派と否定派の研究発表が相次ぐなど解釈が分かれており、存在したと断定するには史料が不足している。だが福原所長は複数の状況証拠を組み合わせれば、「謙信に妻がいた可能性はかなり高い」とした。また、妻は謙信の兄・長尾晴景の娘ではないかという現段階での説も紹介された。
講演後に司会者が参加者に挙手を求めたところ、謙信に妻がいた派といない派はほぼ半々に分かれる場面もあった。
書状の変化から見る謙信
また、「謙信」を名乗ったのは1570年からだが、長尾景虎時代から出世のたびに、しきたりにあわせて書状の書き方が変化してきたことを概説する、米沢市上杉博物館の阿部哲人学芸員による講演もあった。
2人の講演は2021年に計画されていたが、新型コロナ禍で中止となり、「鷹山公シンポジウム」の第35回記念として行われた。



