震災後の避難所で見えた住民たちの危うさ、山形大教授が語る
震災後の避難所で見えた住民たちの危うさ、山形大教授が語る

東日本大震災の津波で大きな被害を受けた宮城県石巻市北上町を、山形大学教授の伊藤清郎さんが訪れ、避難所の住民たちの様子に強い印象を受けた。にぎやかな会話や笑い声が飛び交う一方で、どの顔も土気色で、緊張が解けた瞬間に倒れそうな危うさを感じたという。

旧知の教授が避難所を訪問

伊藤さんは日本中世史が専門で、石巻市河北町の生まれ。隣の北上町にも縁があり、2005年に刊行した旧北上町史では編さん委員を務め、「中世」の章を執筆した。当時、役場で町史づくりを仕切っていた係長が、同じ石巻高校卒で一回り下の後輩にあたる今野照夫さんだった。

伊藤さんは食料や毛布、衣類などを段ボールに詰めて、山形市の自宅から車で北上町を訪れた。97歳の母が入る介護施設も北上にあり、早く駆けつけたかったが、山形でもガソリン不足は深刻で、地元のスタンドに何度も並び、ようやく往復分を給油できた。

避難所で見えた住民たちの危うさ

旧知の先生の思いがけない訪問を今野さんは喜び、発生当日から今までのことを話し、町史編さんで収集した資料やデータが全て流失してしまったことを伝えた。

伊藤さんが強烈に印象に残っているのは、今野さんら災害対策支部の人たちも、避難所で会う住民も、どこか気分が高揚しているように見えたことだ。にぎやかに言葉を交わし、あちこちで笑い声が飛ぶ。それでいて、どの顔もひどく土気色だった。

震災後すぐ日常を取り戻した山形から訪れたから余計にそう感じたのかもしれない。北上の人たちはみんな必死で生きている。そして、ふと緊張が解けた瞬間、ぱったりと倒れそうな危うさがある。伊藤さんにはそう映った。

学用品の支援物資が届く

この訪問から1週間後の4月2日、北上の災害対策支部に学用品の支援物資が届いた。まもなく授業を再開できそうだという今野さんの言葉を覚えていて、橋浦小学校の児童向けに伊藤さんが手配したものだった。

連載「今野照夫さんの震災日記」は宮城版のシリーズで、過去回は読売新聞オンラインで読める。2011年、東日本大震災の津波が石巻市北上総合支所をのみ込み、職員や避難した住民57人のうち54人が犠牲となった。支所の地域振興課補佐だった今野照夫さんも外に投げ出され、2時間漂流したのちに生還。翌日から始まった災害対応を、420日間にわたり克明に記録し続けた。