玉城デニー知事が退任、8年の県政に幕 安保・基地問題「7割近く占めた」
玉城デニー知事が退任、8年の県政に幕 基地問題「7割」

沖縄県の玉城デニー知事(66)は29日、2期8年の任期を終えて退任した。米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古移設に反対する「オール沖縄」勢力による県政は、前知事時代を含め計12年で幕を閉じた。

退任会見で8年を振り返る

玉城氏は29日の退任会見で、「ウチナーンチュ(沖縄の人)のチムグクル(真心)とユイマール(助け合い)を肝に据えて取り組んできた」と振り返り、最も印象に残っていることとして、首里城火災や新型コロナウイルスなどの対応を挙げた。

仕事のウェートとして、安全保障や基地問題が「7割近くを占めた感覚」と語り、政府が普天間飛行場の返還期日を明示していないことに「日米同盟が正しく機能しているのか疑わざるを得ない」と苦言を呈した。自身の今後については「在野の一人として、何らかの形で県政発展の力になりたい」と述べるにとどめた。

退任セレモニーで職員や県民に別れ

その後の退任セレモニーでは、多くの県職員や県民を前に「皆さんあっての知事だった」と目を潤ませ、家族らから受け取った花束を抱え、県庁を後にした。

米兵の父と沖縄出身の母を持ち、母子家庭で育った玉城氏は、専門学校を卒業後、ラジオパーソナリティーなどタレントとして活躍。抜群の知名度を生かして政治家に転身し、地方議員を経て、民主党が政権交代を果たした2009年の衆院選で同党から出馬して国政に進出した。

辺野古移設に反対貫くも、知事選で敗北

その後、オール沖縄の生みの親で前知事の翁長雄志氏の後継として、18年の知事選で初当選した。20年に辺野古沖の軟弱地盤を巡る設計変更申請を不承認としたが、23年に国との法廷闘争で敗訴が確定。国は県の代わりに承認する全国初の「代執行」を行い、24年1月に工事は再開された。その後も、玉城氏は反対姿勢を貫いた。

一方、「誰一人取り残さない社会」を掲げ、中学3年生以下の医療費の窓口払い無償化を実現するなど、社会的弱者を意識した政策に注力した。3選を目指した13日投開票の知事選で、自民党などの支援を受けて初当選した辺野古移設容認派の古謝玄太氏(42)に敗北。30日からは12年ぶりの保守県政がスタートする。