モンゴル抑留の実態:スフバートル収容所で死亡率32.1%、民間人が半数超
モンゴル抑留:スフバートル収容所の死亡率32.1%

スフバートル収容所の過酷な実態

1945年8月の終戦直後、ソ連軍は満州や中国河北省に進軍し、民間人を含む多くの日本人を「日本人狩り」によって拉致し、モンゴルへ連行した。特にスフバートル収容所は、モンゴル当局も認めるほど劣悪な環境だった。洗面所もなく、トイレは修理も新設もされず、医療の場や隔離室、洗濯場もなかった。入所者667人のうち214人が命を落とし、死亡率は32.1%に達した。

民間人の死亡者が軍人の倍近く

ジャーナリストの井手裕彦氏は、著書『モンゴル抑留』(角川新書)でこの悲劇を詳述している。死亡者145人の内訳は、民間人が80人(55.2%)、軍人が42人、残り23人は所属不明。民間人の死亡者は軍人の約2倍だった。最も多かったのは華北交通社員の40人、次いで満鉄社員の31人。彼らは山海関や綏中でソ連軍が捕虜の人数を補うために無差別に行った「日本人狩り」で拉致された。

最年少の死亡者は19歳の満鉄社員・千葉敏雄、最高齢は50歳の華北交通社員・長沼重輝ら3人。旧厚生省の資料によると、収容所に入所した日本人抑留者は計667人で、山海関民団200人、綏中・承徳民団145人と、半数以上が民間人という異例の構成だった。

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劣悪な環境がもたらした悲劇

収容所の環境は極めて劣悪で、伝染病が蔓延した。井手氏は「下痢が止まらず、骨と皮だけになる者もいた」と証言。モンゴル側の対応も遅く、医療施設は手狭で十分な治療が受けられなかった。このような状況が高い死亡率につながった。

スフバートル収容所は、シベリア・モンゴル抑留の中でも最も悲惨な抑留先の一つとされる。井手氏は「運が悪かった」だけでは済まされないと指摘し、日本政府による支援の欠如も問題視している。

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