毛沢東が中華人民共和国建国後に推進した「大躍進政策」の一環として実施された「四害駆除運動」により、スズメ約1億羽が駆除された。その結果、生態系のバランスが崩れ、イネの汁を吸うウンカや葉を食べるバッタが大量発生。穀物の生産は大打撃を受け、国内では数千万人が死亡する「人類史上最大級の人災」と呼ばれる事態に至った。
四害駆除運動とは何だったのか
毛沢東は1893年に湖南省の農家で生まれ、教師を経て政治活動に入り、1949年に中華人民共和国の成立を宣言した。祖国を発展させるため、「大躍進政策」という農業と工業の発展を意図した計画を実行。その最初期の施策として行われたのが「四害駆除運動」だった。
「四害」とは、カ・ハエ・ネズミ・スズメのこと。病気を媒介したり、農作物を食べたりするとして、国家の敵とみなされた。なかでも後世への影響が大きかったのが、スズメの撲滅運動だ。
スズメ1億羽の駆除が招いた悲劇
人々は鍋や洗面器を叩いてスズメを追い回し、巣を壊して卵を割った。スズメは羽を休めることすらできず次々と死に、最終的に1億羽も減少。国内では絶滅寸前にまで至ったという。
政府は穀物を食べるスズメを減らせば食糧の収穫が増えると考えたが、結果は真逆だった。スズメは雑食性で、穀物だけでなく昆虫も食べており、その昆虫がイネの汁を吸うウンカや葉をむさぼるバッタだったのである。敵がいなくなった虫たちはにわかに大量発生し、穀物の生産に大打撃を与えた。
大飢饉とその後
当時の政府は自給自足的な農業から金になる作物を育てる農業への転換を図っていたため、食料事情はさらに悪化。そのほかにも複数の失策が重なり、国内を大飢饉が襲った。ほんの数年の間に数千万人が亡くなり、この事件は「人類史上最大級の人災」ともいわれる。
なお、学者のなかには特定の生き物を減らすことへの警鐘を鳴らす人もいたが、その主張が受け入れられ、政府が方針転換をしたのは四害駆除運動が始まってから2年後のことだった。時すでに遅く、農業を取り巻く生態系はガタガタになり、しかたなくソビエト連邦から25万羽のスズメを導入したという。



