東日本大震災では製油所やタンクローリーが被災し、深刻な燃油不足となった。津波をかぶったガソリンスタンドも多く、石巻市北上地区では4店中2店が休業に追い込まれた。
津波を免れたスタンドに長蛇の列
津波が届かず、地下タンクも無事だった佐藤石油には連日、数十台の車が朝から長蛇の列をなした。消防車や支援物資を運ぶ公用車もあれば、行方不明の家族を探す人たちもいた。
店主の佐藤康仁さんは「一般車は1台3000円まで」と決め、息子や従業員とともに給油を続けた。「あちこち電話して、自分で問屋にも取りに行って。油をかき集めるのに毎日必死だった」と語る。
停電の中、手動で給油
停電のため、地下タンクからくみ上げるには小ぶりのハンドルを給油機の脇に取りつけ、手動で操作する必要がある。10回ほど回すとようやく1リットル入る。へとへとになって作業していると、客の男性が「大変そうだから」とハンドルを代わった。これをきっかけに、次々と客が車を降りて給油を手伝ってくれた。日没で手元が見えなくなると営業は終了となった。
21日に発電機が届き、人力の給油作業からは解放された。
重機への給油と職務質問
不明者捜索や復旧工事で使われる重機の給油も、佐藤さんが一手に担っていた。午前3時になると小型ローリーで現場に向かい、懐中電灯を頼りに数十台、軽油を補充して回る。現地の作業が日の出と同時に始まるので、未明に動くしかない。
給油中に2人組の警察官がやってきて「何をしている」と職務質問されたことがあった。常識外れの時間だから誰かが通報したのかもしれない。今となっては笑い話だが、佐藤さんは真顔で「油をかっぱらっているわけじゃない、入れているの。見たらわかるっぺ?」と答えた。
届かなかったガソリン
いかにして燃料を途切れずに入荷させるか、佐藤さんは日々頭を悩ませていた。系列ではないエネルギー商社からの提供も、そうした中での申し出だった。
日記に登場する今野健治さんは石巻市本庁の下水道課職員で、「我々を北上支所に帰してほしい」と人事課に願い出た5人のひとりだ。15日に戻ってからは避難所の橋浦小学校で対応にあたっていた。商社勤務の次男に相談したところ、ガソリンを融通する方向で話が進んだ。
しかし結局、このガソリンは佐藤石油に届かなかった。災害対策支部で調整にあたった今野照夫さんの記憶では、市長の公印が必要だったが、本庁の担当者が首を縦に振らなかったという。
「ガソリンの確保が本庁判断で水の泡と化してしまった」
翌22日の日記の最後に短く、いかにも残念そうな、そんな一文がある。



