ハンセン病国賠訴訟で証言した園長「実質的な強制収容です」入所者818人の無念を代弁
ハンセン病国賠訴訟で証言した園長 「実質的な強制収容です」

2000年5月11日、熊本地裁。ハンセン病の元患者らが国に賠償を求めた訴訟で、邑久光明園(岡山県瀬戸内市)の園長・青木美憲さん(61)が証言した。「自由な意思で入所した人はおらず、実質的な強制収容です」。国立ハンセン病療養所の邑久光明園、長島愛生園(同)、大島青松園(高松市)の計818人から2年半かけて聞き取った結果を伝えた。

証言の内容と判決

青木さんは「最初は憎んでいた壁に、そのうち慣れ、やがて依存するようになる」という映画のせりふを引用し、「ハンセン病療養所でも同じことが起きたのではないか」と入所者の無念を代弁した。

1年後に出た判決は原告勝訴。国は控訴を断念した。

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聞き取り調査の背景

大阪大医学部の学生だった1987年、へき地医療を学ぶ一環で高松市・大島を初めて訪問。目の当たりにしたのは「医療が患者を苦しめ、切り捨ててきた」現実だった。「問題を知った以上、目を背けては隔離を温存する側に立ってしまう。それは許せなかった」と振り返る。

大学卒業後の96年、ハンセン病患者の強制隔離を定めた「らい予防法」が廃止された。しかし、入所者からは「今後の生活がどうなるのか」との不安の声が聞こえてきた。ハンセン病を巡る問題に対する国の責任を明らかにするため、入所者からの聞き取りを考えついた。

調査の実態と法廷での主張

光明園、愛生園、青松園の入所者1281人のうち、約6割から協力を取り付けた。各園に泊まり込み、1人当たりの時間は30分。感情移入すると時間が足りなくなるため、真剣な心は表に出さず、「深刻なことをずけずけと聞いた」。堕胎や断種、離婚の経験、作業内容や手先の障害の有無、本名とは別の「園名」の使用……。「知らないことだらけ。こんなひどいことがあったのかと」

家族について質問すると、黙り込む人が多かった。夫婦の間でも過酷な体験が共有されていないこともあった。

調査のさなかの98年7月31日、園内の放送で元患者らの提訴を知った。「この問題が動く」と感じた。

その後と現在

2年後、聞き取り調査に注目した弁護団から法廷での証言を依頼された。当時は邑久光明園の医師。国立療養所の職員なのに国を批判することになるが、迷いはなかった。「入所者にひどいことをした医療者の一人として、被害回復の仕事をしたかった」

法廷に立ち、818人の証言を基に、▽事実上の強制収容▽「患者作業」という名の強制労働と重い後遺症▽故郷の喪失▽望んでもかなわない社会復帰――を国側に突きつけた。

海外でハンセン病の研究をするなどし、2009年に邑久光明園に戻った。11年に園内に弁護士らによる人権擁護委員会を新設。入所者の高齢化で自治会の機能が低下する前に、人権が守られているか外部のチェックが働くようにした。沖縄愛楽園(沖縄県)が始めた「ライフサポート」も取り入れた。「一人一人が毎日、心豊かに、心地よく過ごしてもらえるように」と、看護や介護、栄養、リハビリの専門職がチームを組み、入所者の生活上の希望に沿うよう心がけた。

17年間、大阪府豊中市の自宅から片道3時間弱かけて通勤する。15年には園長に就いた。「入所者さんと毎日お付き合いをし、少しだけ一緒に人生を歩むことができる。喜びも悲しみも共にすることもあり、何物にも代えがたい」と語る。

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