冤罪事件に挑み続ける弁護士の原点
北海道札幌市に拠点を置く弁護士・笹森学さんは、長年にわたり冤罪事件の再審請求に取り組んできた。そのキャリアの原点は、司法浪人時代に偶然出席した再審支援の集会で目にした、一枚の白黒ニュース映像にある。映像には、冤罪を訴え支援を求めるビルを一人で配る女性の姿が映っていた。1953年に徳島市で発生したラジオ店経営者刺殺事件で、殺人罪により懲役13年が確定し、再審請求を続けていた冨士茂子さんだった。笹森さんは「孤立無援の人のために弁護士になる」と決意し、9回目の挑戦で司法試験に合格。その頃には冨士さんは死後に無罪が確定していたが、この経験が笹森さんの弁護士人生を決定づけた。
足利事件でのDNA鑑定の誤りを覆す
1988年に弁護士登録した笹森さんは、道内での事件をきっかけに日本弁護士連合会の人権擁護委員会「再審部会」に所属。1990年に栃木県足利市で発生した女児殺害事件、いわゆる「足利事件」の再審請求に関わった。この事件では、DNA型鑑定を根拠に菅家利和さんに無期懲役が確定していたが、笹森さんら弁護団が再度のDNA型鑑定を実施。その結果、当時の鑑定精度に疑義が生じ、検察側が異例の「無罪論告」を行う事態となった。2010年、無罪判決を勝ち取り、菅家さんは17年半に及んだ身柄拘束から解放された。
袴田事件での再審無罪と証拠捏造の認定
笹森さんはDNA型鑑定に詳しい弁護士として知られるようになり、1966年に静岡県で発生した一家4人殺害事件で死刑判決を受けていた袴田巌さんの第2次再審請求にも加わった。事件の1年2か月後に現場近くのみそタンクの底から発見され、血痕が付着した5点の衣類が「犯行時の着衣」とされていた。弁護側は新たな手法によるDNA型鑑定を実施し、血痕が袴田さんのものと一致しないという結果を得た。笹森さんは「『やはり』という気持ちだった」と当時を振り返る。静岡地裁は鑑定の信用性を認め、2014年に再審開始を決定。袴田さんは48年ぶりに釈放された。その後の審理では、鑑定手法が「科学的に確立されていない」とされ、血痕の色に争点が移ったが、最終的に2024年、捜査機関による証拠捏造が認定され、袴田さんに無罪が言い渡された。
冤罪がもたらす社会への影響と弁護士の使命
笹森さんは「冤罪は長い歳月にわたり無実の人から自由を奪い、人生を狂わせるだけでなく、真犯人を野放しにすることにもつながる。無実の罪は誰も幸せにしない」と語る。再審請求に関わり続ける理由について、笹森さんは「たった一人でビラを配っていた冨士さん。その人の助けになれるのが弁護士です」と述べ、あの日の映像が今も心に刻まれていることを明かした。笹森さんは北海道合同法律事務所に所属し、再審弁護のほか民事や家事、医療過誤訴訟など幅広く手がけている。趣味はミステリー小説を読むことや映画を見ることだという。



