昭和の陸軍に、上司の東条英機を「東条上等兵!」と呼んではばからなかった将校がいた。石原莞爾。満州事変を仕掛けた男である。
本来ならば、軍人生命が終わりかねない振る舞いだが石原には、誰も文句を言えない「実績」があった。
満州事変を主導した「軍略の天才」
1931年、関東軍参謀として板垣征四郎らと満州事変を計画・主導。手持ちの限られた兵力から一気に行動を広げ、満州占領と翌年の満州国成立への道を切り開いた。一部の研究者から「日本外交史上の『スター』」とまで評される「軍略の天才」である。
ところが、天才であるが故だろうか。石原の人生はどうにも矛盾だらけだ。満州事変を起こした張本人が、6年後に日中戦争が始まると参謀本部作戦部長という要職にありながら「不拡大」を叫び、戦争を止めようと走り回った。太平洋戦争の直前には予備役に追われ、戦後には、日中戦争を解決しないまま対米開戦に突入したことを「許し難い失策」と断じている。
侵略の先駆者か、平和の先駆者か
侵略の先駆者なのか、平和の先駆者なのか。いまだに評価の定まらない。石原莞爾とは何者だったのか。
ライターの栗下直也氏は「稀代の軍略家ではあるが、組織を動かす力が欠如していた。彼の生涯から、現代人が学ぶことは多い」と指摘する。
本記事では、石原莞爾の軍略の天才としての側面と、その矛盾に満ちた行動の背景にある宗教観や「五族協和」の冷たい戦略など、独自の戦争論をひも解きながら、なぜ彼が挫折したのかを考察する。



