東京・吉祥寺にあった映画館「吉祥寺バウスシアター」の館主で、映画プロデューサーの本田拓夫さんが10日、死去した。82歳だった。通夜は16日午後6時、葬儀は17日正午から東京都西東京市北原町1の1の36の遍立寺で。喪主は長男裕也さん。
映画館の歴史と個性的なイベント
1984年、吉祥寺で営業していた洋画専門の「武蔵野映画劇場」をリニューアルして吉祥寺バウスシアターを開館した。音楽ライブや演劇、落語なども催す映画館の支配人を務め、映画を大音響で楽しむ「爆音上映」など個性的なイベントの数々を手がけた。
映画「BAUS」の制作背景
2014年に閉館したバウスを舞台にした映画「BAUS 映画から船出した映画館」(25年)や、井の頭公園開園100周年を記念して制作された「PARKS パークス」(16年)ではプロデューサーを務めた。
「BAUS」は本田さんの自伝をもとに制作された。映画は、青森から上京したハジメとサネオの兄弟が、吉祥寺初の映画館「井の頭会館」で働くようになるところから始まる。染谷将太さんが演じたサネオは本田さんの父がモデルで、「武蔵野映画劇場」をオープンさせた。このサネオを中心に、吉祥寺に娯楽を届け続けてきた家族の歴史が、戦前から戦中、戦後という大きな時間の流れの中で描かれる。
閉館の理由と制作への思い
本田さんは映画の公開時に朝日新聞のインタビューに応じ、自身が創設した「バウスシアター吉祥寺」の閉鎖を決めたのは、娘が29歳で亡くなったことが理由だったと明かしている。劇場を続けていく気力を失ったとし、「BAUS」でもそうした思いが描かれた。
9歳のときに母を亡くし、兄も早く亡くした本田さんは、家族の歴史を残したいという思いもあり、私財も投じて映画を制作した。「映画は私の終活の意味もあり、亡くなった娘への供養でもある」と話していた。
脚本は、自作をバウスで爆音上映したこともある青山真治監督が手がけた。22年に青山さんが亡くなり構想は中断したが、教え子にあたる甫木元(ほきもと)空監督が引き継いで完成した。



