平城京・八条大路は遷都から約30年後に整備 橿考研が発表
平城京・八条大路は遷都から約30年後に整備 橿考研発表

奈良市の平城京(710~784年)跡で、主要道路の一つである八条大路が天平年間(729~749年)に整備されていたことが分かった。調査した県立橿原考古学研究所が10日、発表した。平城遷都とともに平城京全体が一度に整備されたのではなく、段階的に整備されたことが判明し、平城京の造営過程や土地利用を考える上で重要な成果となる。

発掘調査で道路跡と出土瓦を確認

京奈和自動車道の大和北道路(奈良市―大和郡山市)の建設に伴い、平城京の南部に当たる左京九条一坊を今年6月から発掘調査した。その結果、東西道路の八条大路の南半分(幅7・7メートル)と、その南側溝(幅3・8メートル、深さ0・4メートル)を長さ16メートル分確認した。

道路の整地土の中から天平年間に使われた軒平瓦の破片(幅8・5センチ、長さ8センチ)が出土し、八条大路が整備された時期が判明した。

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わだちや牛の足跡も出土

路面からはわだちの痕跡9条(最長4メートル、幅6~10センチ)や牛の足跡3個が見つかった。平城京内で複数のわだちが見つかるのは珍しく、荷車や牛が盛んに行き交っていたとみられる。

道路の南側は盛り土をして軟弱な地盤を改良していたものの、建物跡は見つからず、宅地として利用されていなかったことが判明した。平城京南部は条坊道路などが整備されていたが、土地利用はあまり進んでいなかったとみられる。

今後の調査と説明会

南側にある大和郡山市の平城京南方遺跡では、十条条間北小路とその南北側溝が出土。平城京の範囲を考える資料になる。

橿考研の鈴木裕明・調査部長は「八条大路の整備は平城遷都から約30年遅れ、平城京の造営時期が場所によってまちまちだということを改めて確認できた。わだちの痕跡や牛の足跡は、京での人々の暮らしが直接的にわかる成果だ」と話している。

現地説明会は12日午前10時~午後2時に開催される。小雨決行で、駐車場はない。

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