戦後81年を迎え、ハンセン病患者の隔離を定めた「らい予防法」が廃止されてから30年が経過した。病に侵されながら戦時下を生き抜き、戦後も差別や偏見に苦しめられてきた元患者たちが今、胸の内を明かす。
ハンセン病元患者の山内きみ江さん(92)には、忘れられない出来事がある。東京都内の講演会で話していると、男性が割って入るように自らの体験を語り始めたという。
「俺はらい病(ハンセン病)の患者を目隠しして、掘った穴に生き埋めにした」――そう語る男性は元軍医を名乗った。出征先の海外で終戦を迎え、食料もない中を敵軍から逃げ回る状況で、ハンセン病に感染したらしい隊員2人を殺す計画を立てたという。
「医者として感染経路を絶つしかなかった」
男性は「逃げているときに、らい病は他の人にうつると、多くの人に迷惑をかける。医者として見過ごすことはできず、感染経路を絶つしかなく殺した」と強調した。これに対し山内さんは「先生は医者でしょう。人の命を助ける人でしょう。あなた、うなされますよ。殺された人たちはまだ苦しんでいますよ」と反論したという。
国立ハンセン病療養所「多磨全生園」(東京都東村山市)で暮らす山内さんは、静岡県藤枝市の農家に生まれた。小学校に上がった頃、耳の後ろに白っぽい斑紋ができていることに気づいた。太平洋戦争が始まった1941年ごろのことで、それは初期症状だった。
「戦争に勝つまでは辛抱」
戦況が激しくなるにつれ、山内さんの体にはさらなる異変が現れ始めた。しかし、当時は「戦争に勝つまでは辛抱」と耐える日々が続いたという。
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