父の思い出は遺影だけ 遺児らの手記を本に 下妻・飯田さん
父の思い出は遺影だけ 遺児らの手記を本に 下妻・飯田さん

戦争で父を失った飯田光信さん(下妻市若柳丙)は、同じように父を亡くした人々の手記をまとめ、本にする予定だ。飯田さんは4歳の頃、大掃除の日に庭に置かれた父の遺影を両手で持ち、じっと見つめた記憶がある。「今もジャングルで生きているのかな。帰ってきたら何を話そうか」と思ったという。

父の出征と戦死

父の好文さんは、飯田さんが1歳の時に出征。2歳になった1944年8月、パプアニューギニアのジャングルで戦死した。享年33歳だった。

一人息子だった飯田さんは、戦後は母と祖母、叔母と暮らした。いたずらをしたり言うことをきかなかったりすると、「お父ちゃんが見ているよ」と諭された。遺影を見上げ、「本当にいるのかな。いるなら会いたいな」と思ったこともあったという。「父の思い出は遺影だけ。遺影を見て育ちました」と寂しげに話す。

Pickt横長バナー — Telegram用の共同買い物リストアプリ

母の姿と父の手紙

母の芳子さんは郵便局に勤め、飯田さんを育てた。我慢強い人で、夫を亡くした悲しみや生活の苦労を口にすることはなかった。「私に聞かせるのは、かわいそうと思ったのでしょう」と振り返る。

25歳の頃、戦地の父が母に宛てたはがきを見た。「光信は元気ですか。風邪をひかさぬよう、そして強く正しく育てて下さい。返信は無用です。私共の所へはもう届かないので」。死を覚悟しながらも一人息子を案じる父の思いを知り、悲しくなった。

家族と後悔

飯田さんは68年に結婚し、1男1女に恵まれた。ある時、大きくなった息子に「子供の頃、お父さんとキャッチボールをしたことがなかった」と言われ、ハッとした。「父がいなかったので、父親としての子供への接し方がわからなかったんです」と悔やむ。

慰霊訪問と本の完成

2011年10月、飯田さんは日本遺族会の慰霊訪問団に参加。他界した母の写真と一緒に、パプアニューギニアの空港から小型機で父が眠るジャングル上空に向かった。どこまでも広がる山岳地帯を飛びながら、「こんなところで……」と父の最期に思いをはせた。

空港に戻り、遺族会が建てた慰霊碑に参拝。「お父さん! 長い長い間、会いたかったです」と追悼文を読み上げた。積年の思いがかなった安堵と平和の大切さを、しみじみ感じた。

飯田さんが副会長を務める下妻市遺族会の遺児は皆、80歳を超えている。「活字にして残すには今が最後」という飯田さんの呼びかけに、10人が手記を寄せた。遺族会には、戦争で夫を亡くした女性13人の苦難の戦後をつづった冊子があり、それと合わせて本にするよう印刷所と調整している。

「父がいなくて、どれだけ寂しい人生だったか」。平和への願いが込められた本の完成を心待ちにしている。

Pickt記事後バナー — 家族イラスト付きの共同買い物リストアプリ