福岡県筑後市遺族連合会会長の長瀬武夫さん(82)は15日、福岡市で開かれた県戦没者追悼式に参列し、遺族代表として追悼の言葉を述べた。生後まもなく父が戦死し、母と、きょうだい5人での生活は苦しかった。自身と同じような戦争遺児を二度と出さないため、「過去を記憶し、未来の平和を築く」と改めて誓った。
父の記憶と戦後の苦しい生活
父の隆夫さんは1944年2月、陸軍に召集された。5月に生まれた長瀬さんには、父の記憶がない。この年の秋、父は台湾とフィリピンの間に位置するバシー海峡を輸送船で航行中、米軍の潜水艦に襲撃されて亡くなった。34歳だった。
父のいない戦後の暮らしは貧しかった。母のトヨノさんは、ミシンを使って服をつくる内職で家計を支えたが、長瀬さんは「いつも空腹だった」と振り返る。米が十分に買えず、麦やそうめんを混ぜて食べた。
父の羽織を着て結婚式
生前、履物の卸売商をしていた父。姉からは「おしゃれな人だった」と聞かされた。母は父の背広やネクタイ、靴などを売って生活費を工面した。唯一、手元に残ったのは紋付きの羽織。母の願いもあり、27歳の時に挙げた結婚式で袖を通した。「父の羽織を着た姿を見せられて親孝行できた」と思いをはせる。
バシー海峡訪問と平和への誓い
立花町(現・福岡県八女市)役場を退職後の2006年、日本遺族会による慰霊訪問に参加し、バシー海峡を初めて訪れた。一斉に「お父さん」と叫ぶ周囲の人たち。でも、自身は写真でしか知らない父のことを何と呼べばいいのか分からず、声に出せなかった。涙だけがあふれた。
昨年10月、筑後市遺族連合会で地元の32人の戦中・戦後の体験をまとめた冊子1000部を作成し、市内の小中学校や近隣の図書館に寄贈した。
「戦争の記憶を語り継ぎ、平和を築くことこそが、戦死した御霊に報いることだと信じる」。この日の追悼の言葉でこう強調した長瀬さん。今後、小学校などでの語り部活動を始めると心に決めている。



