白洲灯台建設尽力の岩松助左衛門を伝えた顕彰会、高齢化で解散
白洲灯台の岩松助左衛門を伝えた顕彰会、高齢化で解散

北九州市沖の響灘を照らす白洲灯台の建設に尽力した岩松助左衛門(1804~72年)の偉業を30年にわたって伝えてきた市民団体「岩松助左衛門翁顕彰会」が今春、会員の高齢化などを理由に解散した。会長を務めた清田禮助さん(86)は「活動を若い世代に引き継ぎたい」と話している。

岩松助左衛門の功績

顕彰会の資料によると、岩松は現在の小倉北区長浜町に生まれた。40年にわたって庄屋を務め、小倉藩から難破船を救助する役職に任命された。響灘に浮かぶ藍島の南西の「白洲」と呼ばれる付近で座礁事故が絶えなかったため、白洲での灯台建設を藩に願い出た。

建設資金は私財を投じた上、募金や借金で調達し、1870年(明治3年)に工事に着手。明治政府が工事を引き継ぎ、岩松の死後の73年(同6年)に完成した。現在の灯台は1900年(同33年)建設の2代目で、今も光をともし航海の安全を守っている。

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顕彰会の歩みと解散

顕彰会の前身となる団体が96年に発足。灯台を模したモニュメントがある小倉城で、岩松が亡くなった4月に顕彰祭を毎年開催。小学校などで岩松に関する紙芝居を上演してきたほか、2013年には灯台そばに海難事故の犠牲者の慰霊碑を建てて年1回、周辺の清掃活動を続けた。

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