終戦の日の15日に開かれる政府主催の全国戦没者追悼式に参列する岡山市南区の近藤嘉也さん(83)は、昨年始めた語り部活動を機に、戦地から届いた父の手紙を開き、その思いに初めて触れた。「父が自分を残してくれたから、幸せな人生を歩めた」。そんな感謝を伝えるつもりだ。
父はビルマでマラリアに感染し命を落とす
近藤さんの父・英雄さんは終戦直後の1945年9月、ビルマ(現ミャンマー)の野戦病院でマラリアに感染し、命を落とした。28歳だった。出征直前の43年3月、生後1か月だった自分のお宮参りが、家族で出かけた最後だったらしい。
幼少期、同居の祖父が商売人で、生活に不自由さを感じることはなかった。小学校の同級生は3人に1人が父を戦争で亡くし、わかり合える友もいた。「最初からいないものだと思っていた」。祖父母や母が父の話をすることもなければ、聞くこともなかった。
大学進学後に感じた父の存在の大きさ
それでも、心が揺れ動いたことがある。大学に進学後、東京の下宿先の父親が息子を殴り、厳しく叱っていた。「愛のムチ」に見えた。そんな父は自分にいない。無性にうらやましくなり、2階の自室で泣いた。
でも、「写真の中の人」だった父にどんな感情を向ければいいのか、分からないまま月日が過ぎた。
語り部活動が転機に
転機は、岡山県遺族連盟事務局長の増本信行さん(70)から語り部活動に誘われたことだった。「戦後の遊びでも何でも自分が話せることを話したらいい」という増本さんの言葉が背中を押した。戦争を経験した人は年々減っている。「遺児の中でも、最若手の自分たちの世代が伝えなければ」と考えた。
昨年1月から、小中学校などで「一般市民が一番つらい目に遭うのが戦争だ」と自身の心情を語る。活動を重ねるたび、「できるだけ戦争のむごさを伝えたい」との思いは強まる。
父の手紙からあふれる家族への愛
活動は父の一面を知る機会にもなった。家の押し入れには戦地からの多数の手紙がしまってあった。「父、母を頼む」「嘉也を大切に育ててくれ」。語り部となるために初めてじっくり読むと、生後間もない子を置いて戦地に赴いた父の家族への思いがあふれていた。ほとんどは母や祖父にあてた手紙で、父の人柄をやっと知ることができた気がした。
追悼式に参列するのは3回目。戦死した大勢の人に手を合わせたいという思いは強いが、父がいたから自分が生まれ、3人の子と7人の孫に囲まれた生活がある。だから父にはこう報告するつもりだ。「みんな元気にやっていますよ」と。



