東日本大震災の津波で宮城県内の電力供給は最大142万戸が停止した。東北電力宮城支店は、被災地に残った電柱を頼りに、がれきを避けながら山を越えて仮の電柱を立て、停電を解消していく「飛び地作戦」を展開した。石巻市北上地区では震災16日目に一部の停電が解消し、住民から「電気がついた」と喜びの声が上がった。
応援隊が訓練通りに現地入り
宮城県内全域を統括する東北電力宮城支店(仙台市青葉区)は、他県の応援を得て復旧作業を開始した。初動対応では、宮城県沖地震を想定して2006年頃から毎年実施してきた全社参加の実動応援訓練が生きた。
3月11日の揺れが収まると、訓練通りに新潟支店の応援隊375人が編成され、一般道を10時間かけて移動し、翌日未明に仙台へ到着した。宮城支店は新潟隊に「一番厳しそうな石巻を預けたい。途中まででもいいから行ってほしい」と依頼。気仙沼には秋田隊、塩釜・多賀城には山形隊を送り込んだ。
当時宮城支店にいた山田雅裕さん(現在は仙台電力センター所長)は「何がなんでも電気をつける、という一心だった」と振り返る。具体的な被害報告が入り始めたのは13日以降で、「応援の参集はスムーズだったが、現地の被害は想定をはるかに超えていた」と語る。
津波でまだらになった電柱を「飛び地作戦」でつなぐ
石巻営業所の鈴木昭宏さんは、揺れの瞬間に電柱の上で作業中だった。「しっかりとつかまってろ!」という同僚の叫び声を聞き、安全綱を締めて柱にしがみついた。営業所に戻ると1階は津波で浸水し、夜は日和山方面の空が津波火災で赤く染まるのをぼう然と眺めた。
翌日、宮城支店の社員が衛星携帯電話を持って到着。13日には新潟隊に加えて中部・北陸電力も到着し、地元を含む500人態勢で復旧作業が本格化した。
津波を受けた沿岸部の電柱は、途中がなぎ倒され、その先は無事というまだら状態だった。作業員たちは、残っている電柱を目指して、がれきを避け、山を越え、仮の電柱を一本ずつ立ててつないでいった。この手法は「飛び地作戦」と呼ばれ、定着した。
資材不足の中、住民の声に励まされて
北上地区では、震災前は北上川を挟んだ釜谷地区から新北上大橋を渡って電気が届いていたが、津波で釜谷の変電施設が水没し、橋の一部も落ちた。そこで、やや遠回りになるが内陸の飯野川変電所からのルートに切り替えた。
資材が足りず、流された電柱や設備は海水を洗い落として再利用し、足りない部品は現地のがれきから探し出した。鈴木さんは住民から「早く電気を通してくれ」とどなられ、胸ぐらをつかまれることもあったが、通電すると泣きながら抱きつく人もいた。ある女の子からは「さむいなか ありがとう」という手紙と一緒にビスケットを一つ差し出された。
最大12万6000戸あった石巻営業所管内の停電戸数は、4月下旬に残り5%まで減少し、5月23日には離島を除き復旧した。県内の配電設備被害の4割にあたる7万か所が石巻管内に集中していたことを考えれば、驚くべき速さだった。