諏訪マタニティー根津院長が来春引退、減胎手術や代理出産で産科医療に一石
諏訪マタニティー根津院長が来春引退、減胎手術や代理出産で一石

代理出産を独自に行うなど産科医療に問題提起を続けてきた産婦人科病院「諏訪マタニティークリニック」(長野県)の根津八紘院長(84)が来年3月で引退する。医学界と対立しながらも、「目の前の患者のために」との信念を貫いてきた。患者らが惜しむ声に感謝しながらも、思いを継ぐ医師がいないことに胸中は複雑だ。

「本当は辞めたくないよ」

インタビューで、根津氏は寂しげな笑みを浮かべ「本当は辞めたくないよ。あと20年、元気でいられる保証があるならね」と語った。引退の意向を知った患者らからは「希望をくれた先生」「残念」などの声が届いた。「医者冥利に尽きる。良いスタッフにも恵まれた」と振り返る。

4月に同病院で開いた記者会見で、引退後は不妊治療や出産、手術から身を引き、産科の患者は他の医療機関に引き継ぐ考えを明らかにした。記者会見が始まる直前まで、医師の長女とともに帝王切開を手がけるなど、精力的に現場に立ってきたが、心臓の持病を抱え、物忘れも気になってきた。引退は、不測の事態で周囲に迷惑をかけないための苦渋の決断だった。

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国内初の「減胎手術」

根津氏は、信州大医学部を卒業後、沖縄県立中部病院ハワイ大学インターン・レジデントコースで米国人ティーチングスタッフの下で学び、1976年に諏訪マタニティークリニックを開院した。1986年には、四つ子を身ごもった女性への「減胎手術」を国内で初めて公表した。母親の安全と、赤ちゃんの命を一人でも救う目的で胎児の数を減らす処置だ。それ以前に四つ子を身ごもる妊婦を診た際、妊娠継続を勧めて大学病院に送った経験があった。生まれた一人が脳性まひで、次は選択肢を提示しようと考えていた。人工妊娠中絶の手法を参考に手術を行った。

しかし、倫理的に問題だとする世論が支配的で、直後、日本母性保護産婦人科医会(現・日本産婦人科医会)は減胎手術を禁じた。思いもよらぬ状況に深く落ち込み、一時は自ら命を絶とうとも考えたが、「その覚悟があれば事をなせる」と思い直した。

1998年には提供された卵子による体外受精、2001年には夫婦の受精卵を使い第三者の女性に産んでもらう代理出産など、国内の産科医が踏み込まなかった医療を実践し、相次いで公表した。子どもを授かりたいと切望する人たちは多い。「困っている患者に応える医療」を支えに、関連学会による一時除名や厳重注意の処分に動じず、国や学会に議論を投げかけた。

減少する出産数と医療界への失望

そんな同病院も、手がける出産はピーク時の年650件ほどから、最近は150件前後に減少した。物価高が追い打ちをかけ、スタッフ約80人の雇用や施設の維持も難しくなった。

「医療界にも失望感を禁じ得ない」と言う。代理出産や、自身がこれまで1600件以上実施した減胎手術は議論が進んでいないからだ。自分の後を追い、現状を打開しようとする医師も見当たらず、むなしさも感じる。

それでも、「患者が困らない世の中を」。この思いは持ち続けている。

患者「この病院があってよかった」

不妊治療やお産で根津院長を頼り、諏訪マタニティークリニックを受診する人は全国から訪れた。三つ子を身ごもり、昨年7月に同病院で減胎手術を受けた東京都内の女性は「減胎手術がなければ、全員を諦めることも考えていた。この病院があってよかった」と語る。

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不妊に悩む人を支援するNPO法人「Fine(ファイン)」の野曽原誉枝理事長は「いつも患者を第一に考えてくれている医師だと感じていた」と印象を語る。少子化の影響で、多くの産科医療機関が運営難に直面している。「患者にとって頼りにしている施設がなくなることは大きな不安。産科や生殖医療をどう維持するか国全体で議論が必要だ」と指摘する。