ハンセン病訴訟で国の控訴断念に尽力するなど、患者の救済に力を注いだ元厚生労働相の坂口力さんが亡くなった。関係者からは、功績をたたえ、悼む声が相次いだ。
熊本地裁判決と控訴断念への道のり
2001年の熊本地裁判決は、らい予防法に基づくハンセン病患者の隔離政策について「過度に人権を制限した隔離規定の違憲性は明らか」として、旧厚生省と、1996年まで同法を廃止しなかった国会議員の立法不作為について国家賠償法上の違法性を認めた。
厚労相だった坂口さんは政府内で控訴断念を働きかけ、最終的に当時の小泉純一郎首相が控訴断念を決めた。その後、厚労相として初めてハンセン病療養所を訪問し、謝罪。2012年に政界を引退し、晩年は、沖合に国立療養所「大島青松園」がある高松市で暮らした。
原告団と弁護団の悼む声
逝去の報を受け、ハンセン病違憲国賠訴訟全国原告団協議会の竪山勲会長は「(熊本地裁判決後)坂口さんは懐に辞表をしのばせて、控訴断念を主張した。(政府の)控訴して和解するという流れのなかで、担当大臣が控訴しないと戦ってくれていることを知って、私たちの運動に勢いがついた」と振り返った。
「控訴断念を果たすことができて『神様、仏様、坂口様』と言いたいくらいのありがたさがあった。坂口先生抜きにしてハンセン病問題を語れないほど大きな存在で、隔離政策によって夢や希望がなかった私たちに控訴断念という希望を与えてくれた方。巨星墜(お)つという気持ちです」と惜しんだ。
原告側弁護団を率いた徳田靖之弁護士も「坂口さんがあの時、厚生労働相でなければ国が控訴しないという決定にはならなかった」とその存在の大きさを語る。
「『国として大変な間違いをおかしてしまった』と原告のみなさんの前で言われたのがとても印象に残っている。熊本地裁判決が確定した後、ハンセン病問題を当事者と厚労省が協議しながら解決していくレールをつくり、ハンセン病問題が厚生労働行政のなかで最も大事なもののひとつと明確にされたと思う」と、功績をたたえた。



