徳川慶喜家5代目当主、300坪の墓じまいと孤独な闘い 親族反対の中、叔父の遺言で使命を継ぐ
徳川慶喜家5代目、300坪墓じまいの苦難 親族反対も使命継ぐ

徳川慶喜家の5代目当主となった山岸美喜さんは、叔父である4代目当主・徳川慶朝さんから託された「墓じまい」と「家じまい」という二つの使命を遂行する過程で、想像を絶する困難に直面した。特に、東京都台東区の谷中霊園内にある300坪もの広大な墓所の管理は、個人の手に余るものであった。

叔父の闘病と遺言

山岸さんは、片道5時間かけて名古屋と茨城を行き来しながら、闘病中の叔父・慶朝さんの看病に尽力した。叔父の体調が良い時には、二人で酒を酌み交わし、語り合うこともあったという。そんな中、叔父から「美喜ちゃん、あとはよろしくね」という言葉をかけられた。山岸さんは「思ってもみないことで、最初はとても驚きました」と振り返る。

闘病生活が約3年続いた後、慶朝さんは67歳で死去した。実は、山岸さんが5代目当主となったのは、闘病中に叔父が書いた遺言に基づくものだった。「財産を私に遺贈すること、また遺産執行人として私を指名することなどが書かれていました」と山岸さんは語る。

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託された二つの使命

叔父から託されたのは財産だけではなかった。同時に、徳川慶喜家の「墓じまい」と「家じまい」(絶家)も山岸さんの使命となった。慶朝さん自身が墓所や資料の管理に長年苦労したことから、「こんな大変なことは私の代で終わりにしたい」と決意したという。

墓じまいの対象となったのは、東京・谷中霊園内にある徳川慶喜家の墓所。その面積は約300坪で、小学校の体育館ほどの広さがある。石塀で囲まれた墓所には、墓石だけでなく多くの植栽があり、少しでも手入れを怠ると雑草が生い茂る。個人が管理し続けるのはあまりにも困難だった。

親族の反対と孤独な決断

しかし、墓じまいと家じまいの決断は、親族から大きな反発を招いた。「親族ほぼ全員が反対しました。『名門の家を絶やすとは何事だ』という声が多く、涙が出るほど辛かった」と山岸さんは打ち明ける。名門ゆえの重責と、理解を得られない孤独の中で、それでも彼女は叔父の遺志を継ぐ決意を固めた。

さらに、墓所の管理だけでなく、6000点以上にのぼる資料の処分も課題となった。これらの資料は歴史的価値が高く、適切な保存先を探す必要があった。山岸さんは、資料を専門機関に寄贈する方向で調整を進めている。

墓じまいの過程と現在

墓じまいの作業は、単なる墓石の撤去にとどまらない。まず、墓所内の植栽を整理し、石塀の一部を解体する必要があった。また、慶喜家の先祖の遺骨をどのように扱うかも問題となった。山岸さんは、改葬先を探し、一連の作業を計画的に進めている。

山岸さんは「叔父の思いを無駄にしないためにも、この使命を必ずやり遂げたい」と語る。彼女の闘いは、まだ続いている。

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