麻生太郎元首相の政治力の源泉は、筑豊の地で石炭を掘り財を成した「石炭屋」としての矜持にある。2007年の『AERA』取材で麻生は「私を上品だと思ってますよね。石炭屋が上品なわけない」と語り、自身の根っこが政治家や貴公子ではなく、石炭業にあると強調した。この矜持が、現在の皇位継承問題への関与にもつながっている。
麻生家の歴史:初代・麻生太吉から始まる財閥
麻生家の歴史は、初代・麻生太吉(1857年~1933年)に始まる。福岡・飯塚を拠点に石炭を掘り、その利益を鉄道、銀行、電力へと拡大し、三井、三菱、古河、住友といった中央の大財閥に対抗し、「筑豊御三家」(貝島、安川と並ぶ)の一角にまで成長した。筑豊の石炭は官営八幡製鉄所を支え、日本の近代化に貢献したが、その労働は過酷で、納屋制度による囲い込み、低賃金、ガス爆発の危険、戦時中の朝鮮人強制労働など、暗い側面もあった。麻生は「石炭屋が上品なわけがない」と語る際、こうした財の出どころの暗さを自覚している。
初代太吉の経済思想:資本集中への警戒
初代太吉は単なる山師ではなく、晩年には資本の過度な集中を警戒した。昭和初期の農村飢饉を目の当たりにし、巨大資本の私有を「万悪の源」と断じ、欧米流の野放図な資本主義には統制が必要だと説いた。この経済感覚は、麻生家に脈々と流れ、麻生太郎の財政感覚にも影響を与えている。
皇室との近さと皇位継承問題
麻生は吉田茂を祖父に持ち、皇室に連なる「華麗なる一族」の一員でもある。現在、麻生は皇位継承問題で発言力を強め、愛子さまの将来に影響を及ぼす立場にある。ライターの栗下直也氏は「卓越した財政感覚も、皇室に最も近い政治家という地位も、筑豊の地を掘って財をなした過去なしには語れない」と指摘する。麻生の根底にある石炭屋としての矜持が、国の根幹に関わる問題にまで及んでいる。
麻生太郎の政治キャリアと石炭屋の自覚
麻生は学習院大学卒業後、麻生産業に入社し、麻生セメントの社長を務めた。その後、政治家として第92代内閣総理大臣にまで上り詰めたが、自らを「石炭屋」と称するその姿勢は、永田町の論理とは異なる独自の力の源泉を示している。地の底から始まった財が、いまや「天」に近づき、皇位継承という国の成り立ちに関わる高みに達している。



