「先生が東大に行かせたがった神童」と評された少年は、今20歳になった。彼が向き合うと決めたのは、日本が抱えることになる問題の輪郭だ。
家庭での会話が育んだ経済感覚
家庭の中で彼を受け止めていたのは、寡黙な父親だった。父は経済に詳しい人で、普段は言葉数が少ないが、大阪の親戚宅へ向かう車中、経済ニュースの話題が出ると途端に盛り上がった。本人いわく、ニュースは父親と話す共通言語でもあった。子どもが甘えるための語彙ではなく、金融政策や地方経済の話題で、少年は父と対等に話した。今でも友人とドライブに出ると、ついニュースの話をしてしまう癖は、車の助手席で父と交わした会話の記憶に根を張っている。
英才教育ではなく、自然な環境
こう書くと英才教育を受けたエリート少年の話に聞こえるが、両親は特に彼を「頭のいい子」に育て上げようとしたわけではない。父は経済の話ができる相手として彼を扱っただけで、母も普通の母だった。彼は周りの子と好みが違うだけの、少し勉強のできる普通の少年だった。
机の上だけではない学び
小学校ではクラスの新聞係を務め、2日に1回くらいのペースで日々の出来事を壁に掲示した。クラスメイトから「紙がもったいない」と言われることもあったが、この活動を通じて社会科の先生やニュース好きの友人と親しくなった。勉強はよくできたが、いわゆるガリ勉は好きではなく、机に座って教科書を開くだけの学び方に直感的な違和感を持っていた。
当時はピアノにも熱を入れ、本人いわく「音楽家になると思っていた」時期もあった。高学年になるとX JAPANのYOSHIKI氏にハマってドラムをやったり、中学では吹奏楽部でホルンを演奏したりしていた。自分にとっての学びは机の上だけにあるのではない。ニュースを見て社会の動きを追い、人と話す中に学びがある――この感覚は小学生の彼の中で既に揺るぎないものになっていた。
彼は今、日本が直面する問題と向き合うことを決意している。その問題の輪郭は、経済や社会の変化に伴い、若い世代が真剣に考えるべきテーマとなっている。



