「坊っちゃん」ネーミング120年、戦後復興と地域おこしで浸透 松山の魅力高まる
「坊っちゃん」ネーミング120年、戦後復興と地域おこしで浸透

夏目漱石の小説「坊っちゃん」が発表されて今年で120年を迎える。舞台とされる松山では、銘菓「坊っちゃん団子」を始め、その名前を冠した商品や施設がすっかり根付いている。愛称は、戦後の復興期に使われるようになり、地域おこしがブームとなった平成初期に広く浸透したとみられる。

戦後復興期に活用拡大

終戦から4年後の1949年11月、坊っちゃん祭りが松山市で開かれ、登場人物の仮装行列や自転車競走などが盛大に行われた。当時の愛媛新聞49年11月16日付は「小説“坊ちゃん”によつて松山が天下に紹介され、坊ちゃんといえば松山、松山といえば坊ちゃんを思い出す……」と書いている。同11日付には坊っちゃん団子の新聞広告もあり、ネーミングが既に市民へ受け入れられていたことがわかる。

祭りでは、板張りの「坊っちゃん列車」も登場した。漱石が1895年の松山赴任時、海の玄関口・三津(松山市)から乗ったとされる汽車を再現したもの。小説では「マッチ箱のような」と表現されただけで、坊っちゃん列車の名付け親はわからない。2001年に同列車を復活させた伊予鉄道も「自然発生的に生まれた愛称では」とする。

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地域資源としての坊っちゃんを調査した県立大洲農業高(大洲市)教員、河田晋作さん(47)は「明るく痛快なストーリーが戦後間もない松山の人の心に灯をともした」とし、戦後復興に合わせて愛称の活用が広まったとみる。市は当時、国際観光温泉文化都市の指定を目指しており、「全国の温泉地と差別化を図るため、知名度の高い漱石や坊っちゃんを持ち出し、PRしたのでは」と分析する。市は1951年、同都市に指定された。

平成の地域おこしで再脚光

坊っちゃんが再び脚光を浴びたのは、平成に入り、各自治体が地域色のある活性化策を打ち出し始めたことがきっかけだった。その一つが、88年に創設された「坊っちゃん文学賞」だ。「文学から遊離した、滑稽きわまりない市政」と嘆く声もあったが、大賞作品が映画化されるなど、自治体主催の文学賞では知名度を高めてきた。市文化・ことば課の担当者は「覚えやすくキャッチーな名称で、当初から大きな反響があった」と振り返る。

2000年に坊っちゃんスタジアムがオープンし、翌年に坊っちゃん列車が復活。06年には坊っちゃん劇場も開館し、坊っちゃんにちなんだ施設、名物が次々と誕生した。物語自体も映画やミュージカルで息長く使われ、16年には二宮和也さん主演のテレビドラマが放送された。時代を反映して脚色されながら、多くの人に親しまれ、愛されている。

読書離れ進むも地域資源としての魅力は不変

一方、「坊っちゃん」の読書離れは進む。全国学校図書館協議会(東京)の小中高生を対象にした調査では、1990年代から読まれなくなり、2000年を最後にランク外になったという。担当者は「最近は映画やテレビで話題になった本が読まれる傾向がある。ただ、授業で粗筋などを学び、坊っちゃんを読んでなくても知ってはいる」と説明する。

記者が今年度の国語の教科書を調べたところ、中学では2社が教材に採用。別の2社は資料として載せていた。高校「文学国語」は出版する8社になかった。坊っちゃんに限らず、文学作品は、舞台とされた地域の歴史や風景を反映し、貴重な地域資源となる。河田さんは、確信を込めて語る。「120年たってもこの名作が忘れ去られることはなく、地域資源としての魅力は今後も高まる」

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