昭和を代表するスケート選手で、1988年カルガリー冬季五輪スピードスケート男子500メートル銅メダリストの黒岩彰さん(65)が、出身地の群馬県嬬恋村副村長に就任してから2年半が過ぎた。プロ野球西武ライオンズで球団代表も務めた黒岩さんの行政職への異例の転身は話題を呼んだ。副村長の任期は4年。折り返しを過ぎた今、職場や故郷への思いを語ってもらった。
村長のサポートに全力
「僕の役割は熊川栄村長(78)のサポートです。村長は群馬県の町村会長などを務めており、役場にいないことが多い。村長が留守にしている間は、業務が滞らないよう、しっかり役場を守らなければなりません」
外での会議に村長の代理として出席する機会も多く、先日も群馬県の山本一太知事らとの意見交換会に村長の代わりに出向き、村のビジョンなどを話してきたという。「隣接自治体は長野の方が多いこともあり、長野の市町村の首長にもしょっちゅう会ってます。そういえば、(同じ群馬県出身で冬季五輪金メダリストの)荻原健司・長野市長とは会ってませんね。同じ行政の立場として、今後、何かしらのやり取りがあるかもしれません」
あいさつで存在感を示す
「結構、忙しくしていますよ。日課はでかい声であいさつすることです。村の中枢である役場が元気でなければ、村が元気になるわけがない。これを信条としているからです」
毎朝7時45分に来て、一人一人に「おはようございます」とあいさつする。帰りも、周りが帰りづらくならないように6時に出るよう心掛け、必ず「お先に失礼します。お疲れさまでした」とほぼ全員にあいさつするという。
「あるとき、職員から『副村長はあいさつばかりしてますね』と言われたのですが、普通のことですよね。多くの職員があいさつの重要性に気付いていないんです。あいさつは自分の存在感を示すためでもあり、自信がないとできないんです。だからこそ毎日あいさつです。村を活気付けたいんです」
故郷の大自然に改めて感動
高校(嬬恋高)を卒業して約45年ぶりに帰ってきた黒岩さんは、「村の風景を見てこんな素晴らしいところがあったんだといまだに感じています。そんなときは車を止めて写真を撮ります」と話す。
村には万座温泉などの温泉や、日本百名山の一つ浅間山(群馬県と長野県にまたがる標高2568メートルの活火山)がある。浅間山の山麓には大噴火で流れ出た溶岩が固まってできた「鬼押出し園」もあり、標高1400メートルのバラギ高原には周囲2キロの湖がありキャンプもできる。サッカーグラウンドも整備されていて涼しいので夏合宿には最適だという。
「いろいろ楽しめるところがあるんです。嬬恋村に足を運んでもらった人が何かを感じてくれるといいな。そのまず第一歩を踏み入れてもらうための何か(仕掛け)を作っていかなければいけないと感じています」
嬬恋村の名称の由来について、日本武尊が東征の帰路、今の長野に抜けるときに県境の鳥居峠で亡き妻をしのび、「ああ、妻が恋しい」と嘆いた故事から名付けられたと説明。「妻を恋する村なので、雄大な浅間山に向かってデッキ(叫び台)から夫が愛を叫ぶ『愛妻の丘』もあるんです」と紹介した。
新居は妻の「城」に
「東京の自宅に帰ることはほぼありません。正月ぐらいです」と黒岩さん。母校・専修大のスケート部監督を務めていたため、生田キャンパス(川崎市)近くに結婚して家を建て、その家を売って新たに町田市に家を建てたときに副村長就任の話があったという。
「実は新居に1週間ぐらいしか住んでいません。娘は結婚して実家を出ましたが、妻と息子が住んでいます。僕はトータルで2週間程度かな。今はもう妻の〝お城〟になっています」
「当時、まさか村に帰って今の仕事をするとは思っていませんでした。人との縁や偶然が重なったんです」と振り返った。
黒岩さんは昭和36年生まれ。群馬県嬬恋村出身。専修大卒。59年国土計画入社。1988年カルガリー冬季五輪スピードスケート男子500メートルで銅メダルを獲得。現役引退後は西武ライオンズ球団代表や新高輪プリンスホテル営業支配人などを歴任。専修大スケート部、富士急行スケート部で監督を務めた。日本スケート連盟や日本オリンピック委員会(JOC)でも強化に携わった。令和6年4月から現職。