石田三成:天才テクノクラートの頭脳と運命
石田三成:天才テクノクラートの頭脳と運命

石田三成(1560~1600年)は、近江国坂田郡石田村(現・滋賀県長浜市)に生まれ、幼名は佐吉。豊臣秀吉にその俊敏さを認められ、治部少輔に叙任された。秀吉の死後、1600年の関ヶ原の合戦で徳川家康に敗れ、京都六条河原で処刑された。

武力に頼らない戦国武将

加藤清正や福島正則を筆頭とする多くの戦国武将は、文字が読めず低い身分の出身であっても、持ち前の武力で出世した。しかし三成はそうしたパワーに依存せず、頭脳を武器にした。算段と機転がめっぽう利いたのである。

「三杯のお茶」の逸話

その機転を示すのが有名な「三杯のお茶」のエピソードだ。秀吉が鷹狩りの帰りに立ち寄った寺で、小姓時代の三成が出迎えた。夏の暑い日、喉の渇いた秀吉に、一杯目は一気に飲めるようぬるく、二杯目以降は徐々に熱く濃い茶を出した。ケース・バイ・ケースで最善の対応をする機転の良さが秀吉の目に留まった。以降の内容は有料会員限定となる。

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