東南アジア経済を語るうえで、華僑は極めて重要な存在となっている。ベトナム戦争が終わった1975年時点で、南ベトナムの首都サイゴンのショロン地区には約100万人の華僑が住んでいた。当時のベトナム人口は現在の半分程度の4500万人だったため、その存在感は大きかった。
しかしベトナムは、戦争終結後に華僑を追い出してしまった。華僑には南ベトナム政府と商売をしている者も多く、その資本主義的な考え方は北ベトナムの思想とは相容れなかった。北ベトナム軍がサイゴンを占領した際、ショロン地区の華僑の約9割が国外へ脱出した。
国際社会の非難とボート・ピープル
華僑と同様に、南ベトナム政府に協力した人々も追放された。陸路でカンボジアやラオスに逃げた人もいたが、小舟で南シナ海に乗り出した人々もいた。彼らはボート・ピープルと呼ばれ、その何割かは船が沈んで命を失った。
このような非人道的行為を行ったベトナムは、国際社会から強く非難された。北ベトナムが敗戦した南ベトナムの軍や政府関係者を追い出したのは理解できなくもないが、なぜ華僑も追放したのか。このことは今後の日本と中国の関係を考えるうえで重要な視点を投げかけている。
華僑の実態と東南アジアへの広がり
「華僑」と呼ばれる人々は全世界に5000万人から6000万人いるとされ、その約半分が東南アジアに住む。学術的には中国の戸籍を保有する者を「華僑」、現地国籍を取得した者を「華人」と呼ぶが、この区別はあまり意味がない。東南アジアの華僑は合計2300万人に達し、特にタイやマレーシアに多い。
華僑は清朝末期から中華人民共和国成立までの間に海外へ渡った人々とその子孫で、現在は2世代目、3世代目、さらには曾孫の時代になっている。彼らは世代を重ねても中国語を話し続ける点で、戦前に米国や南米へ渡った日本人移民の末裔とは大きく異なる。日本の移民の子孫の多くは日本語を話せないが、これはペルー大統領になったアルベルト・フジモリ氏や『歴史の終わり』の著者フランシス・フクヤマ氏を見れば明らかだ。
中国が清朝末期から中華民国の時代、タイを除く東南アジア諸国は欧米の植民地だった。当時の東南アジアは人口が希薄で、現地の欧米企業は中国からの労働力を喜んで雇用した。その噂を聞いて移り住んだ人も多く、また商売で一旗揚げようと渡ってきた中国人も大勢いた。1949年以降は中国の共産化で居場所を失い、逃れてきた人々もいる。



