NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」第30回「清須会議」では、柴田勝家、丹羽長秀、羽柴秀吉、池田恒興の4人が、亡き信長の後継と遺領を巡って火花を散らす。しかし、この清須の座敷に、本来もう一人いてもおかしくない男がいた。滝川一益である。
一益は、長島攻め、長篠、甲州征伐と、信長の主要な合戦にほぼ皆勤してきた宿老中の宿老。武田滅亡後には、上野一国と信濃二郡を与えられ、関東方面の総責任者に抜擢されている。序列でいえば柴田勝家に次ぐ、織田家臣団のナンバー2と言っていい男だ。
なぜ一益は清須会議に出席できなかったのか
その一益は、天下の行方を決める会議の場にいなかった。これは単なる欠席ではすまなかった。会議の前、一益は織田家臣団の中でも別格の存在だったが、会議の後、彼の名前は遺領配分のどこにも見当たらない。清須会議とは、出席した4人が果実を分け合った会議であると同時に、欠席した一人が東国のすべてを失った会議でもあったのだ。
一益の重要性を示すのは、甲州征伐後の配置である。1582年、武田家滅亡後、武田旧領の甲斐・信濃・上野には織田家の諸将が配置されたが、一益は上野国厩橋城(現・群馬県前橋市)に派遣されている。菊地浩之『織田家臣団の謎』(KADOKAWA、2018年)によれば「俗に関東管領と称された」という。
一益に課せられた「東国全体の再編」
菊地によれば、一益は1550年代前半にはすでに信長に仕えていた古参の家臣である。菊地は、池田恒興の従兄弟という説もあるとしたうえで、父祖伝来の譜代である「勝幡譜代」に属すると考えられるともしている。武田攻めにあたっては副将格で参戦しており、厩橋城に入るにあたっては上野一国に加えて信濃小県・佐久の二郡も与えられた。この際、武田氏旧臣も配下に組み込まれており、その中には真田昌幸の名も見える(谷口克広『織田信長家臣人名辞典』吉川弘文館、2010年)。
新たな領地、しかも容易に恭順するとは思えない武田旧臣の支配も任されているあたり、織田家中でも五本の指に入る重臣だったことは間違いないだろう。



