ロシアによるウクライナ侵略が4年半と長期化する中、日本に避難してきた人たちは、帰国のめどが立たず、望郷の思いを募らせている。仕事や子育てなど生活の基盤ができ、家族が安心して過ごせる日本で暮らしていくことが頭をよぎる人もいる。
中部チェルカーシ出身のアローナ・ネスホディムさん(39)(兵庫県川西市)は、長男(8)と母・ヴォイナッシュ・バレンチナさん(65)の3人で避難生活を送る。親戚を頼って2022年6月に来日したが、夫と父はウクライナに残った。
23年2月、知人の紹介で制御機器製造会社「IDEC(アイデック)」(大阪市淀川区)に入社。自社ホームページのデザイン・制作の業務を経て、現在は、主に社員食堂で働いている。
伝統文化の発信と子育ての両立
会社で、力を入れているのがウクライナの伝統文化や歴史の紹介だ。「戦争だけの国ではないと知ってほしい」と、民族衣装「ヴィシヴァンカ」やお守り「モタンカ人形」について写真を交えて紹介する社内向けのコラムを約30本書いた。
「長くても1年」。そう思っていた戦争は収束が見えず、一時帰国もままならない。母国で家族で暮らす願いは持ち続けているが、最近は迷いも出てきた。
4歳で来日した長男は小学3年生になり、流暢な日本語を話し、読み書きもできる。家庭内ではウクライナ語を話すが、得意ではない。長男は日本で暮らし続けることを望んでおり、「日本を故郷だと思っている」という。
一方、ネスホディムさんにとって日本語は難しく、入居する公営団地の無償提供がいつまで続くかなど不安は募る。それでも、会社の同僚らは日々の仕事や行政手続きの手伝いなど公私にわたって支えてくれている。「いつかウクライナに戻って暮らせることを願っているが、息子にとって何が最善なのか考えなければならない」と話した。
同僚の北村麻里子さん(44)は、コラムの日本語への翻訳を担当している。「言葉の壁や子育てで苦労しているけど、本当にたくましい。苦労を少しでも軽くできるように、支えていきたい」と話す。
避難生活の中での新たな一歩
「ウクライナに帰りたいが、先を見通せない」 ウクライナ北東部スムイ州から福井市に避難しているビクトリア・モルチャノバさん(37)は、苦渋の表情を浮かべた。侵略を受け、長男や夫の母らと国外へ脱出。長年、福井で暮らしている姉(41)を頼り、22年4月に来日した。
福井県から提供を受けた集合住宅で暮らし、翌年には夫(36)も合流した。モルチャノバさんは、姉の知人の紹介で、夫とともにラベル製造会社で勤務している。昨年9月には、次男が生まれた。今秋には保育園に入園予定で、モルチャノバさんはその後、育児休業を終えて職場に復帰するという。
中学1年の長男(13)は日本語が上達し、友達も増えた。部活動でバスケットボールに打ち込む日々だ。日本で暮らし続けることを希望しているという。モルチャノバさんは、子どもたちの成長を頼もしく思う一方、「ウクライナに残っている友達や親戚が気がかり。戦争が終わったら戻りたい」と話した。
避難民の現状と定住意向
出入国在留管理庁によると、7月末時点で1935人のウクライナ避難民が国内で暮らしている。
避難民は基本的には、「短期滞在」の在留資格で入国し、就労しながら1年間在留できる「特定活動」に切り替えることが多かった。2023年12月、難民に準じた「補完的保護対象者」の認定制度が始まり、認定により最長5年の在留が可能となった。
避難民を支援する「日本YMCA同盟」が今年1月、196人から回答を得たアンケートでは、戦争が終了した場合、「日本に残り、定住を試みる」とした割合は、前年より約9ポイント多い60%に達した。「補完的保護対象者」については86%が申請し認定された。ただ、経済的自立は依然として課題となっている。



