ポプラ事件から50年、米韓の思惑の違いが浮き彫りに
ポプラ事件から50年、米韓の思惑の違いが浮き彫りに

1976年8月18日、朝鮮半島の南北軍事境界線上にある板門店で、監視の妨げになっていたポプラの木の剪定に携わった米軍将校2人が、北朝鮮軍兵士に殺害された。この「ポプラ事件」から50年になる。この事件は何を問いかけるのか。

事件の発端はポプラの木の剪定作業

事件の翌日付で米国が朝鮮国連軍司令部の報告として国連安全保障理事会に送った書簡によれば、事件の発端は、国連軍による監視の視界を妨げていたポプラの木の剪定作業だった。国連軍は北朝鮮側に事前通告していたが、北朝鮮軍の武装兵が現れて作業の中止を繰り返し求めた。国連軍が応じないでいると、北朝鮮軍将校が「連中を殺せ」と部下に命じた。北朝鮮兵は素手や現場にあったおの、こん棒で国連軍将校らに暴行を加えた。国連軍の米軍将校2人が死亡し、兵士数人も重軽傷を負った。

米国の対応と「ポール・バニヤン作戦」

ポプラ事件を受けて米軍は、北朝鮮を許さない断固たる意志を示す一方で事態の拡大を避ける行動として、「ポール・バニヤン作戦」を実施し、事態は収束した。当時の関係書類と存命する元当局者の証言からは、同盟国である米韓両国の考えの違いが浮かび上がる。

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米ホワイトハウスは事件の直後、地下のシチュエーションルームで緊急会議(WSAG)を開いた。議長役はキッシンジャー国務長官だった。米側は北朝鮮の行動を「計算された限定挑発」と判断し、軍事力の誇示と国際世論戦を組み合わせつつ、全面戦争は避ける方針で一致した。翌日、国連安保理に報告して…

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