インドネシアの伝統衣装「バティック」に、旧日本軍統治下で生まれた日本由来の模様があることはあまり知られていない。終戦後は一時、反日感情によって姿を消したが、両国の関係改善が進み、復活した。今では最も人気のある模様の一つとして親しまれている。
首都ジャカルタのオフィス街では、色とりどりのバティックを着た男女が行き交う。バティックは日本語で「ジャワ更紗」と呼ばれ、地域ごとに象徴する模様があり、職人が一枚ずつ「ろうけつ染め」の技法で、長ければ数カ月かけて制作する。2009年にはユネスコの無形文化遺産に登録された。
日本統治下で生まれた「ホコカイ」
上着やスカートがあり、インドネシアでは最高級の正装だ。外国人でも会議や会食のドレスコードにバティックが指定されることは少なくない。全土で数千に上る模様の中で、一つだけ、日本と結びつきが深いものがある。旧日本軍統治下のジャワ島で生まれた「ホコカイ」と呼ばれる模様だ。
桜や藤、チョウなど、日本人が昔から好む「花鳥風月」と、ジャワ島伝統の剣などがあしらわれた色鮮やかな柄だ。高級品で、高いものはバティック1着が作れる2メートルほどの布1枚で10万円以上に上る。それでもホコカイを求めて、多くの人々が一大産地の中部ジャワ州を訪れる。
終戦後に姿を消し、関係改善で復活
ホコカイは一時、インドネシアから姿を消したことがある。中部ジャワ州ペカロンガンで父親から引き継いだ工房「バティック・ファイラスフ」を営むアフマド・ファイラスフさん(51)は「1945年の独立後、ホコカイは市場から姿を消した。禁止されたわけではないが、作られなくなった」と回想する。
「ホコカイ」の名前は、旧日本軍の占領下で、戦争への協力を目的に地元住民らで組織された「ジャワ奉公会」に由来するとされる。ファイラスフさんや地元メディアによると、旧日本軍は奉公会の活動を通じて地元の女性たちにバティック作りを指示し、その過程で生まれたのがホコカイだと言われる。日本の占領期を連想させるなどの理由で、独立後は自然と生産されなくなったという。
日本はインドネシアへの戦後賠償を進め、58年に国交を樹立。70年代に入ると多くの日系企業がインドネシアに進出するようになり、両国の関係改善が進んだ。ペカロンガンでホコカイ模様のバティック作りが再開したのも、そのころだという。



