北九州市の一般社団法人「TSUNAGU(ツナグ)」は、学生たちが企業から請け負った課題の解決を通して、実社会とつながる仕組みづくりに取り組んでいる。文部科学省のキャリア官僚を辞め、出向先だった同市に残り、学校とは異なる「第2の教育インフラ」構築に向け、昨年5月に法人を設立した丹羽雅也代表理事(37)にその取り組みや決断の背景を聞いた。
企業の課題を学生チームが解決
丹羽代表理事は、学校で学ぶ基礎学力の重要性を認めつつも、「それだけでは実社会とあまりにかけ離れている」と指摘する。学生が社会とつながり、成長できる場が必要だと考え、法人を設立したという。企業からの依頼を丹羽氏が請け負い、様々な大学や学校から集まった学生たちがチームを組んで対応に当たっている。
具体的な取り組みとして、まちづくり事業に取り組む企業から、公園の来園者にサッカーボールやフライングディスクなどを電子認証で貸し出すスマートスポーツロッカーの製作相談があった事例を挙げた。北九州高専の学生に相談すると「電子制御系はできそうだが、スマホでピッと開ける仕組み自体はあまりよく分からない」との返答があり、九州工業大の学生に話を持っていくと「システム系はなんとかなりそう」とのことだった。大きなロッカーであることから、西日本工業大の建築系の学生も巻き込み、現在、大学の枠を超えた学生チームで製作に取り組んでいる。
文科省を辞めた理由
丹羽氏は、もともと世の中を変えることに興味を覚える性質だったと話す。受験勉強しかしてこなかった学生が社会に放り込まれて苦しむケースが多いが、その子が悪いのではなく、社会のシステムがうまくいっていないからだと感じていたという。文科省で学校を変えようと試みたが、「学校組織はなかなか変わりづらい」と実感し、「外に作ったほうが適切なアプローチかもしれない」と考えて決断した。目指す山の頂は変わっていないと語る。
出向先だった北九州市にとどまった理由については、市教育委員会で部長職を2年間務め、学生が社会とつながる教育事業の資金集めで企業回りをした際、賛同してくれた経営者から「いずれ文科省に戻るんだろう。その後はどうするんだ」と問われたことを挙げる。いろんな人を巻き込んでおいて「事業は他の人がやります」というのは無責任だと感じ、残ることにしたという。北九州とは縁もゆかりもなかったが、よそ者を肯定的に受け止める温かい土壌があることも理由となった。
今後の展望
小倉北区の魚町銀天街に5月、プロジェクトの拠点施設「MID.(ミッド)」が開業した。学生の輪は広がっており、現在280人ほどが登録している。北九州には大学生や高校生が約5万人いるが、「そのうち1割程度は興味を持ってくれると思うので、まだまだ少ない」とし、これからもっと学生が集まり、いろんな個性が重なり合い、混ざり合い、社会とつながる場所にしていきたいと話す。
丹羽氏は三重県四日市市出身。大学受験直前に肺気胸で入院し、第1志望の東大には合格できず、明治大に進学した。2012年に文科省に入省し、23年に北九州市に出向。教育委員会次世代教育推進部長などを2年間務めた後、文科省を退職して「TSUNAGU」を設立した。行政経験で培った「座組を作って動かす」スキルが現在の活動に役立っているという。



