ソニーがエレクトロニクスメーカーからコンテンツ企業へと変貌を遂げた背景には、2005年6月に最高経営責任者に就任したハワード・ストリンガーの存在が大きく関わっている。同社初の外国人経営トップの下で、ソニー内部では激しい内紛が繰り広げられていた。ジャーナリスト大鹿靖明氏の著書『半導体 尖端覇権の興亡』(講談社)より、その一部を紹介する。
「お友達」で幕僚を固めたストリンガー会長
ハワード・ストリンガーが会長に就任すると、藤田州孝をはじめ、自身の「お友達」で幕僚を固めていった。その一人が女性弁護士のニコール・セリグマンだ。彼女はモニカ・ルインスキー事件の際にクリントン家を防衛して名を上げ、2001年に米国ソニーに入社。ストリンガー政権と同時にソニー本社の執行役EVP兼ジェネラル・カウンセルとして法務や広報を統括した。
もう一人が平井一夫である。1984年にCBSソニーに入社し、久保田利伸の付き人のような仕事を経て、ソニー・ミュージックエンタテインメントの丸山茂雄に可愛がられた。米国育ちで英語が流暢なことが平井のセールスポイントだった。1997年にソニー・コンピュータエンタテインメントの執行役員に就き、プレステの立役者・久夛良木健の部下として頭角を現した。ストリンガーにとって、ネイティブ並みの英会話能力を持つ平井は頼もしく、重宝された。
英語が苦手な社長との確執
一方、社長としてエレキ部門を掌握する中鉢良治は英語が苦手だった。ストリンガーや数人の外国人社外取締役がいる取締役会では、中鉢に同時通訳が付いた。元広報担当役員は「ハワードは平井と英語で会話できるから心地よい。それに対して中鉢は英語が苦手だからハワードに報告に行きたがらない。それでハワードはだんだんフラストレーションを感じていった」と解説する。
半月しか日本にいない会長兼社長兼CEO
ストリンガーは会長兼社長兼CEOとして、月の半分しか日本に滞在しなかった。その間、巨額の赤字が続いたにもかかわらず、彼の報酬は約8億円に上った。この状況にソニーのOBからは猛反発が起き、「お前はニューヨークに帰れ」との声が上がった。旧本社の解体に際しては、涙を流すOBもいたという。
内紛の影響とソニーの変革
この内紛は、ソニーの経営方針に大きな影響を与えた。ストリンガーはエレクトロニクス事業からコンテンツ事業へのシフトを推進し、ソニーは音楽、映画、ゲームなどのエンターテインメント企業として再編された。平井一夫は後に社長に就任し、ソニーの復活を主導することになる。



