「彼が席に戻ってくる足音が聞こえると、オフィスの空気は張り詰め、部下たちは『今日は機嫌がいいだろうか』『地雷を踏まないようにしよう』と身を縮める」――こんな経験はないだろうか。あるいは、卓越した技術を持つエンジニアのB氏。彼が書くプログラムのコードは美しく、複雑なシステムトラブルも瞬く間に解決する。技術的な知識量はずば抜けており、誰も彼には敵わない。「技術の守護神」との呼び声も高い。だが、彼はチームワークを軽視している。コードレビューでは他人のコードを「センスがない」と笑いながらこき下ろし、彼の基準に満たない人を無能と見なし、質問に来た後輩を「そんなこともわからないのか」と冷たく突き放す。いずれも一切の悪気はない。結果、若手エンジニアは萎縮し、誰も彼に話しかけなくなり、必要な情報共有が滞り、チームは機能不全に陥っている。
「ブリリアント・ジャーク」とは何か
こうした人々は、確かに“仕事ができる”。会社に利益をもたらし、難題を解決する。その意味で、彼らは間違いなく「優秀」(ブリリアント)だ。しかし同時に、組織の協調性を無視して周囲の人々を疲弊させ、メンタル不調者や離職者を生み出す元凶ともなっている。チームプレイヤーとしては、「嫌な人」(ジャーク)なのである。シリコンバレーなどのビジネスの最前線では、このような“優秀だが有害”な人々を「ブリリアント・ジャーク」(Brilliant Jerk)と呼ぶ。直訳すれば「才能ある嫌な人」あるいは「有能なろくでなし」といったところだ。
「仕事はできるが、一緒に働きたくない」「あの人さえいなければ、もっといいチームになるのに」「なぜ会社は、あんな人を野放しにしているのだろう」――そんな嘆きの声が、今日もどこかのオフィスから聞こえる。もしかしたらあなた自身も、そんな誰かの顔を思い浮かべながら、この文章を読んでいるかもしれない。
プラスよりマイナスのほうが大きい
ブリリアント・ジャークの問題は、その個人の能力が組織にもたらすプラス効果よりも、周囲への悪影響によるマイナス効果のほうが大きい点にある。例えば、優秀なエンジニアが一人で多くの仕事をこなしても、チーム全体の生産性が低下すれば、組織としては損失だ。さらに、メンタル不調者が増えれば医療費や離職率の上昇につながり、長期的には企業の競争力を損なう。にもかかわらず、なぜ企業は彼らを野放しにするのか。
その理由として、短期的な業績評価が挙げられる。多くの企業では、個人の成果が重視され、チームへの貢献や周囲への影響は軽視されがちだ。ブリリアント・ジャークは目に見える成果を上げるため、評価が高くなりやすい。また、管理職が彼らを指導することを避けたり、問題を認識していながら「仕方ない」と諦めているケースも少なくない。
専門家の沢渡あまね氏(作家/ワークスタイル&組織開発専門家)と伊達洋駆氏(ビジネスリサーチラボ代表取締役)は、ブリリアント・ジャークの問題は組織文化や評価制度の欠陥に起因すると指摘する。彼らは「企業がブリリアント・ジャークを放置するのは、短期的な利益を優先し、長期的な組織の健全性を軽視しているからだ」と述べている。
対策は組織の意識改革から
ブリリアント・ジャークを放置しないためには、評価基準の見直しが必要だ。個人の成果だけでなく、チームへの貢献や周囲への影響を評価に組み込むことで、有害な行動を抑制できる。また、管理職には問題を早期に発見し、適切なフィードバックを行うトレーニングが求められる。さらに、心理的安全性を高める組織文化の醸成も重要だ。社員が安心して意見を言える環境があれば、ブリリアント・ジャークの行動も是正されやすくなる。
結局のところ、ブリリアント・ジャークの問題は個人の性格に帰するものではなく、組織の仕組みが生み出している側面が大きい。企業が真の意味で「優秀な人材」を活用するためには、短期的な成果だけでなく、組織全体の持続可能性を考慮した人事戦略が不可欠なのである。



