広島県広島市に本社を置く施設野菜メーカー・村上農園は、1996年に発生した病原性大腸菌O-157による集団食中毒事件の風評被害で、売上高がわずか2年で半減し、倒産寸前に追い込まれた。しかし、そのどん底で2代目社長が「チャンスが来た」と直感し、当時誰も知らなかった新しい野菜の開発に賭けた結果、現在は年商132億円の企業に成長した。本稿では、その逆転劇の全貌を前後編でお届けする。
背丈を超えるカイワレの廃棄山
1996年夏、広島県広島市湯来町の空き地で、村上農園の若手社員Aさんは、青々と育ったカイワレをプラスチックパックから一つ一つ取り出し、畑に捨てては長靴で踏み固める作業に追われていた。廃棄されたカイワレの山は、ゆうに背丈を超えていた。Aさんは「むなしかったし、悔しかった」と振り返る。きっかけは、1996年7月に大阪府堺市で発生したO-157による集団食中毒事件だった。学校給食で小学生3人が死亡し、当時の菅直人厚生大臣が記者会見に立つ異例の事態となった。原因食材として名指しされたのが「かいわれ大根」である。後に事実無根と判明したが、テレビでは「カイワレに赤インクを吸わせると葉っぱまで届く。だから葉っぱにも大腸菌がある」という根拠のない実験映像が流され、カイワレはすっかり犯人扱いされた。その余波で、全国のスーパーからカイワレが撤去された。
売上半減、辞職ドミノが始まった
村上農園は1978年に広島で設立された施設野菜メーカーで、かいわれ大根を専業として成長を続け、事件発生前の1995年には売上高21億9200万円を計上し、全国に生産拠点を持つ業界トップ企業だった。しかし、O-157の風評被害で状況は一変した。1996年は18億4800万円だった売上高が、1997年には9億8800万円まで激減。わずか2年で半分以下となり、過去最悪の赤字を記録した。このまま2年続けば債務超過は確実とされた。生産拠点7カ所のうち4カ所がストップし、一時帰休で自宅待機となった職員の収入は国の助成金により約60%に落ち込んだ。収入減と仕事の目処が立たない状況が続き、社員の多くが生活を維持できず退職。村上農園によれば、若手を中心に約30%の社員が会社を去ったという。Aさんも虚しさを覚えて村上農園を去った。
「危機がチャンスをくれた」
そんなどん底の中で、2代目社長の村上浩氏は「チャンスが来た」と直感した。カイワレ専業の薄利多売ビジネスモデルからの脱却を模索していた村上氏は、反対を押し切り、当時誰も知らなかった新しい野菜の開発に乗り出す。その野菜とは、後に「スプラウト」と呼ばれるカテゴリーの先駆けとなるもので、栄養価が高く、サラダや料理のアクセントとして需要が拡大した。村上氏は「運がいいんですよ」と語るが、その背景には4度の経営危機を乗り越えた粘り強さと、新商品への確固たる信念があった。
4度の谷を乗り越えて年商132億円へ
村上農園はその後も、テレビの捏造問題などで再び風評被害に見舞われるなど、計4度の経営危機を経験した。しかし、そのたびに新商品開発と販路拡大で反撃。現在は年商132億円の企業に成長し、スプラウト市場で確固たる地位を築いている。村上氏は「運がいいんですよ」と謙遜するが、その裏には、どん底で手に入れた「強さ」と、逆境をチャンスに変える経営哲学がある。



