赤字100億円会社の社長に抜擢された川邊健太郎氏、盟友の一言で覚醒
赤字100億円会社社長に抜擢された川邊氏、盟友の一言で覚醒

前LINEヤフー会長の川邊健太郎氏(51)は、30代の入り口を「左遷続きだった」と振り返る。学生起業から携わってきたモバイル担当を外された経験から、その後、日本最大のインターネット企業のトップに上り詰めるまでの道のりを、ライターの堀尾大悟氏が取材した。

モバイル担当を外された30歳

川邊氏は1995年に学生起業した電脳隊(のちのP.I.M.)で、携帯電話向けインターネットサービスを手がけた。同社は2000年にヤフーに買収され、川邊氏は社員番号302番として入社。モバイル担当プロデューサーを任され、「Yahoo!モバイル」で悲願を果たそうと意気込んでいた。

しかし2005年、30歳の頃にモバイル担当を外される。理由について川邊氏は「気が散っていたから」と語る。当時のヤフーは井上雅博社長のもと盤石なオペレーションが敷かれた会社で、エネルギーを持て余した川邊氏は本業以外の勉強会や活動に首を突っ込んでいた。2003年には「Yahoo!ボランティア」を立ち上げ、2004年にはプロ野球の1リーグ構想を阻止する活動を会社と関係なく仕掛けていた。

Pickt横長バナー — Telegram用の共同買い物リストアプリ

親会社のソフトバンクが2006年にボーダフォンを買収する前夜で、グループがモバイルに本腰を入れようとする矢先だった。井上社長は「Yahoo!モバイルは別の者にリードを任せるから」と告げたという。

赤字100億円会社の社長に抜擢

その後、川邊氏はYahoo!ニュースの「コメント改革」を手がけ、GyaO(のちのGYAO)社長に抜擢される。当時のGyaOは年間100億円の赤字を抱える会社だった。川邊氏は「ダサい仕事」とグチをこぼしていたが、盟友の一言で覚醒し、黒字化に導いたという。

38歳でヤフー副社長に就任し、その後LINEヤフーの会長としてZOZO買収やLINEとの経営統合などネット業界の再編を主導した。2026年6月に会長を退任し、現在はAIソロプレナーとして活動している。

30代の経験が生んだ経営の礎

川邊氏は「30代の仕事は『一日にして成らず』」と語り、左遷や赤字会社の再建といった経験がその後のキャリアの基盤になったと振り返る。盟友の「大丈夫、オレたちはいつだって変われる」という言葉が、川邊氏を覚醒させたという。

Pickt記事後バナー — 家族イラスト付きの共同買い物リストアプリ