1993年春、兵庫銀行の再建を巡り、大蔵省は元銀行局長の吉田正輝を社長として送り込むことを決定した。だが、その過程で、日本銀行の三重野康総裁が吉田に対して「預金保険を使って、早く収束を」と助言し、吉田は青ざめたという。このエピソードは、銀行不倒神話が崩壊した象徴的な出来事として、金融史に刻まれている。
兵庫銀行再建の舞台裏
大蔵省が兵庫銀行再建の切り札として白羽の矢を立てたのは、元銀行局長の吉田正輝だった。しかし、唐突な依頼に吉田は激怒し、銀行局長の寺村信行に抗議した。「銀行局長を安売りしていいのか。局の権威を落とすことにもなるんじゃないか。そもそもなぜ自分なのか」と。寺村は戸惑いながらも「実は吉田さん以外にも3人の歴代銀行局長について検討したのです」と打ち明け、「金融システムの安定性確保のために、そこまで考えていることをご理解願いたい」と重ねて懇請した。会談記録によれば、このやり取りは緊迫したものだった。
吉田、渋々応諾
3月2日、吉田は正式に辞退するが、大蔵省は諦めなかった。断っては口説かれ、また断るというシーンが続いた後、最後は有力事務次官OBまでが説得に乗り出し、吉田は逃げ場を失った。3月16日、「召集令状を受けた老兵だ」と言って渋々応諾した吉田と、口説き落とした事務次官の尾崎護との会談録が残されている。尾崎は「先輩のお気持ちは十分承知しているが、敢えてもう一度、任期については1期2年限りということで、曲げてお引き受けいただくようお願いしたい。2年後の御処遇については、必ず適切に対応させて頂くこととし、後任に確実に引き継ぐ旨をお約束する」と述べた。吉田は「承った。本件は困難かつ重大な責任と考えるので、当該銀行建て直しのため、大蔵省の良き知恵と全面的なご協力、ご支援を是非ともお願いしたい。もちろん、お受けした以上、誠心誠意、欣然と任務を遂行する所存である」と応じた。
三重野総裁の衝撃的な助言
吉田が社長に就任後、三重野日銀総裁から「預金保険を使って、早く収束を」と助言された。この助言に吉田は青ざめたという。預金保険を使うことは、銀行が破綻することを意味し、銀行不倒神話が崩壊する瞬間だった。当時、兵庫銀行の不良債権比率は30%に達しており、再建は極めて困難な状況だった。吉田は「俺はだまされた」と感じたとされる。この助言は、金融システムの安定性確保のために、もはや従来の延命策では限界があることを示していた。
銀行不倒神話の終焉
このエピソードは、日本の銀行が決して潰れないという神話が崩れた象徴的な出来事として、金融史に位置づけられる。大蔵省と日銀の間では、預金保険の活用をめぐって激しい駆け引きがあった。三重野総裁の助言は、早期決着を目指す日銀の姿勢を如実に表している。吉田はその後、兵庫銀行の再建に尽力するが、結局、同行は1995年に経営破綻し、預金保険が初めて適用されることとなる。



