東京都北区の西ケ原は、23区にありながら再開発の波が及ばない稀有な街である。東京メトロ南北線の西ケ原駅を中心に、本郷通りの北側には公共施設や公園が広がり、南側には商店街と密集した住宅地が続く。タワーマンションや高層ビル、大型商業施設はなく、閑静な雰囲気を保っている。なぜ西ケ原は再開発されないのか。その背景には3つの大きな要因がある。
文化資本の存在
第一の理由は、飛鳥山公園と旧古河庭園という広大な文化資本の存在だ。飛鳥山公園は西ケ原駅の北側に位置し、江戸時代に徳川吉宗が桜を植えて庶民に開放したことから桜の名所となった。1873年には日本で初めての公園の一つに指定されている。現在、本郷通り沿いには飛鳥山博物館、渋沢史料館、紙の博物館という3つの博物館が集積している。旧古河庭園は駅の南側にあり、明治時代に陸奥宗光の邸宅地だった後、古河家が所有し、現在は国と東京都の文化財に指定されている。これらの歴史的・文化的資源が、西ケ原を開発の波から守っている。
公共施設の集積
第二に、西ケ原には公共施設が多く集まっている。飛鳥山公園周辺には北区役所飛鳥山分庁舎、北区立飛鳥山図書館、北区立中央公園などが立地する。また、旧古河庭園の近くには北区立滝野川体育館や北区立西ケ原小学校などがある。これらの施設は容易に移転や再開発ができないため、大規模な民間開発が入り込む余地を狭めている。
国立印刷局東京工場の広大な敷地
第三の理由は、国立印刷局東京工場の存在だ。西ケ原駅の東側、本郷通り沿いに広がる同工場は、約14万平方メートルの広大な敷地を有する。ここでは紙幣や切手、官報などの印刷が行われており、国家の重要な機能を担っている。この施設があるため、周辺で大規模な再開発計画が持ち上がりにくい。また、この土地が国有地であることも、民間による開発を難しくしている。
江戸幕府の土地が国有地に
西ケ原に国立印刷局がある理由は、歴史に遡る。江戸時代、この地は徳川家光が鷹狩りを楽しんだ場所であり、幕府の直轄地だった。明治維新後、これらの土地は国有地として引き継がれ、現在の国立印刷局や博物館、公園などの公共施設に転用された。歴史や文化が色濃く残る街であることが、再開発の圧力から西ケ原を守っているのだ。
昔ながらの商店街と昭和の面影
西ケ原の南側には、昔ながらの商店街や昭和の趣を残す家屋、狭く入り組んだ路地が広がる。このエリアは密集した住宅地で、大規模な再開発は住民の合意形成が難しく、結果として開発が進まない。これらの要素が複合的に作用し、西ケ原は23区でありながら、静かな街並みを維持している。



