東京メトロで最も無名?北区西ケ原が再開発されない理由と歴史
東京メトロで最も無名?北区西ケ原が再開発されない理由

西ケ原の再開発が進まない理由

東京都北区の西ケ原は、東京メトロの中でも特に知名度が低い駅の一つとされる。しかし、この地域は江戸時代には徳川家光が鷹狩りを楽しんだ場所であり、現在も3つの博物館が存在する文化的なエリアだ。にもかかわらず、再開発が進まない背景には、土地の歴史的な利用と所有構造が深く関わっている。

農業試験場の歴史

西ケ原の土地はもともと江戸幕府の所有地で、明治以降も国有地として利用されてきた。1886年には蚕病試験場が移転し、翌年には蚕業試験場に改称された。1890年には隣接地に農務局仮試験場が設置され、1893年に農事試験場となった。これが西ケ原に農事試験場が設けられた経緯である。

大正時代に入ると、1914年に蚕業試験場は東京高等蚕糸学校となった。宅地化が進んだため、1923年には農事試験場の試験畑が鴻巣に移転。その跡地には1931年に大蔵省印刷局が新築された。その後、蚕糸学校は1940年に小金井へ移転し、跡地には印刷局の施設が拡充。職域病院として国立印刷局東京病院(現・花と森の東京病院)が建てられた。

Pickt横長バナー — Telegram用の共同買い物リストアプリ

農事試験場の移転とその後

農事試験場は1950年に農業技術研究所と改称され、1980年には筑波学園都市へ移転した。西ケ原は日本の農業発展に重要な役割を果たした土地である。花と森の東京病院の前には「東京高等蚕糸学校発祥之地」の記念碑が今も残っている。

このように、西ケ原は長年にわたり国の機関や試験場が集積するエリアだったため、民間の再開発が進みにくい状況が続いてきた。現在も博物館や病院など公共施設が多く、大規模な商業開発やマンション建設が行われていない。

Pickt記事後バナー — 家族イラスト付きの共同買い物リストアプリ