東京メトロ最少乗降駅・西ケ原駅周辺の光景:大空襲後の未整備が生んだ密集市街地
最少乗降駅・西ケ原駅周辺の光景:空襲後の未整備が生んだ密集市街地

東京メトロで最も乗降人員が少ない駅として知られる西ケ原駅(東京都北区)。その周辺には、高層ビルやタワーマンションがなく、戸建てや小規模集合住宅が密集する閑静な住宅地が広がっている。この街並みは、関東大震災や東京大空襲といった歴史的な出来事と無関係ではない。

西ケ原の現在:本郷通りを境に異なる顔

西ケ原の中心を東西に走る本郷通り。その北側は飛鳥山公園や滝野川公園などの公共施設が多くを占め、南側には商店街と密集した住宅地が広がる。狭い路地も散見され、まるで時間が止まったかのような雰囲気を醸し出している。

「商店街の周り、すなわち本郷通りの南側には、戸建てや小規模な集合住宅が密集した住宅地が広がる」と記事は記す。西ケ原の住宅街は、計画的に整備された新興住宅地とは異なり、歴史的な経緯を色濃く反映している。

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歴史をひもとく:先土器時代からの営み

西ケ原の歴史は古く、先土器時代にまで遡る。縄文時代の貝塚である西ヶ原貝塚や、御殿前遺跡など、古代から人が暮らしてきた痕跡が残る。江戸時代には、本郷通り北側の高台は徳川家光が鷹狩りを行った御殿山と呼ばれ、徳川吉宗が桜を植えた飛鳥山は庶民の行楽地として親しまれた。

本郷通りは将軍が日光へ向かう岩槻街道であり、西ケ原一里塚が現存する。明治時代に入ると、海軍火薬庫などの軍事施設が進出。1911年には都電荒川線が開通し、市街化が進んだ。

震災と空襲がもたらした密集市街地

大きな転機となったのが、1923年の関東大震災だ。被災した都心部から人口が流入し、西ケ原では急速に宅地化が進んだ。さらに1945年の東京大空襲では甚大な被害を受けるが、戦後、計画的な都市基盤の整備が行われないまま市街化が進行。結果として、現在のような密集した住宅地が形成された。

「現在、西ケ原の中央あたりに位置する地下鉄南北線の西ケ原駅が開設されたのは遅く、1991(平成3)年のことであった」と記事は指摘する。駅の開業が遅れたことも、大規模な再開発が行われなかった一因と考えられる。

防災性向上への取り組み

密集市街地は防災面で課題を抱えるが、地元では「まちづくり協議会」が中心となり、防災性向上に向けた活動が進められている。具体的には、狭い道路の拡幅や老朽建物の建て替え促進、防災訓練の実施などが行われている。

西ケ原の街は、歴史的な偶然と必然が重なって現在の姿がある。再開発の波に乗らず、静かな住宅地としての魅力を保つ一方で、防災や高齢化などの現代的な課題にも直面している。

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