「かっこつけず科学に向き合う人」利根川進さん死去、生涯を研究に捧げた86年
利根川進さん死去、生涯研究に捧げた86年

免疫学の金字塔を打ち立て、その後脳科学へと研究の舞台を移した世界的科学者、米マサチューセッツ工科大学(MIT)教授の利根川進さんが11日、死去した。86歳だった。抗体の多様性という医学界の難問を解き、日本人として初めてノーベル生理学・医学賞を受賞した利根川さんは、「いくら年をとっても科学者でありたい」と語り、年齢を感じさせない情熱で研究の最前線を走り続けた。

生涯現役の研究者魂

2013年から17年までMITの利根川研究室に在籍した東京大学の奥山輝大教授は、「生涯現役で、最後まで次の論文を書こうとしていたと思う」と述べ、利根川さんの研究への飽くなき姿勢を振り返った。研究が好きで、興味深い発見があると子どものように「これは面白い」と叫んだという。奥山教授は「すさまじい集中力と仕事の速度で、研究者の生き様を教わった」と語る。

利根川さんは、1987年に抗体多様性の遺伝子機構を解明した功績でノーベル賞を受賞。その後、50歳近くになって研究対象を免疫学から脳科学へと大胆に転換した。この決断について、周囲は驚きをもって迎えたが、利根川さんは「科学者として新しい挑戦をしたい」と信念を曲げなかった。

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科学者としての姿勢

利根川さんの研究スタイルは、常に「かっこつけず科学に向き合う」ことだった。奥山教授は「利根川先生は、自分の興味に正直で、成果よりもプロセスを重視する方だった」と回想する。ある時、うっかり説明を入れ忘れたデータについて、利根川さんは「間違いは認めて修正するのが科学者の責務」と冷静に対処したという。

利根川さんの死去は、科学界に大きな衝撃を与えている。MITの発表によれば、彼は最後まで研究を続け、複数の論文を準備中だったという。脳科学の分野では、記憶や学習のメカニズム解明に貢献し、後進の育成にも尽力した。

影響と反響

利根川さんの死を受け、多くの研究者が追悼の意を表した。元教え子の一人は「利根川先生からは、科学への情熱と誠実さを学んだ。先生の遺志を継ぎ、研究を発展させていきたい」とコメント。日本のノーベル賞受賞者として、若手研究者への影響も大きく、その功績は長く語り継がれるだろう。

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