科学を市民に伝え、ともにあり方を考える「科学コミュニケーション」が国内で本格化して約20年。東京理科大に専門の学科が新設されるなど取り組みは広がる一方、科学者への信頼は国際的に低い水準にとどまる。真偽不明の情報があふれる現代、その現状と課題を探った。
東京理科大に国内唯一の学科
東京理科大に4月、科学コミュニケーション学科が開設された。これまで副専攻や個別の授業で教えてきた大学は多いが、専門の学科としては国内で唯一の例だ。
4月下旬の授業では、1期生約80人が2人1組で地図を使ったグループワークを行った。互いの地図を見せずに言葉だけで目的地へのルートを共有するが、実は地図に描かれたランドマークに違いがあり、話がすれ違う場面もあった。「伝えたつもり」でも伝わらない状況を学ぶ狙いだ。
授業を担当する一方井祐子教授は「互いが持つ情報が異なる時のコミュニケーションの難しさを実感させるのが目的です」と話す。知識の差が大きい専門家と一般市民の間で情報共有がなぜ難しいのかを学ぶ。
授業では、1980年代の英国で政府や科学者が科学コミュニケーションを進めた経緯も紹介。一方的に伝えるだけでなく、科学者と市民の対話や、科学の進め方に市民が関わる意義が指摘されるようになったことを強調した。
学科では、科学コミュニケーションや科学に関する社会的問題に加え、情報・データサイエンスや数学、物理などの基礎も学ぶ。学科主任の渡辺雄貴教授は「科学的な専門知識の素養とコミュニケーション能力を備えた人材育成を目指したい」と話す。就職先として、役所や企業での政策・ビジネス展開や、中高の理系教員が想定されている。
「元年」から20年余り
国内で科学コミュニケーションが活発化したのは2005年。文部科学省が北海道大、東京大、早稲田大で科学コミュニケーター養成プログラムに予算を配分した。05年は「科学コミュニケーション元年」と呼ばれる。
06~10年度の第3期科学技術基本計画では、「研究者・技術者と社会との間のコミュニケーションを促進する役割を担う人材の養成や活躍を、地域レベルを含め推進する」と明記された。06年には国立科学博物館が養成講座を開設、16年には同志社大が副専攻コースを始めるなど、大学の取り組みも広がった。
地域では、千葉県柏市に「手作り科学館Exedra(エクセドラ)」がある。アパートを改装した15畳ほどのスペースに、ニホンザルやイノシシの骨、アライグマやキョンの毛皮など身近な動物の標本が並ぶ。展示解説はほとんどなく、来館者が不思議に思ったことにスタッフが応じるスタイルだ。
館長の羽村太雅さんは「何を不思議だと感じるのか、どんな関心を持つのか、来館者それぞれが持つ疑問に、スタッフが応じています」と話す。事前予約制で、化石探しの体験もできる。羽村さんは東京大大学院在学中の10年にサークルを創設し、18年に開館。22年からは小中学生を研究者に育てる「研究部」も始めた。
科学者への信頼、日本は低く
世界68か国約7万人を対象にした調査(25年1月発表)で、科学者への信頼を5段階で評価したところ、世界平均は3.62だったのに対し、日本は3.37で68か国中下から10番目だった。「能力」への評価は低くないが、「社会や人々に対する思いやり」や「透明性」の項目が低く、全体を押し下げた。
調査に参加した早稲田大の田中幹人教授は「日本では、科学者が社会問題に気を配っていないと受け取られている。『科学者の顔が見えない』と感じられており、より丁寧な社会での対話が必要だ」と指摘する。
インターネットには科学的とはいえない主張もあふれ、検証されない情報が広がることで専門家への不信や分断を招きかねない。科学者の情報発信の重要性は増している。
社会の中の科学へ
科学者の社会での役割を明確に示したのは、1999年の世界科学会議で出された「ブダペスト宣言」だ。科学を「知識のための科学」「平和実現のための科学」「持続的発展のための科学」「社会のための、そして社会の中の科学」と定義した。科学史家の村上陽一郎氏は「科学者自らが、社会の営みと無縁では科学を定義しきれないことを明確に自覚した」と指摘する。
2019年の世界科学フォーラム宣言では、「科学者は市民と交流することが大事だ。根拠に基づく政策決定などを進めていくためにも、科学者は自らの研究を政策決定者や市民に伝えていくための訓練が求められている」と述べた。
その実践として、市民が研究プロセスに参加する「シチズン・サイエンス(市民科学)」が注目される。
雷研究に市民参加
京都大の榎戸輝揚准教授らは、雷の発生原因に迫る研究で市民の協力を得ている。雷雲ガンマ線が雷のトリガーに関わる可能性を探るもので、冬の北陸は低い雷雲のため観測しやすいが、雷の発生予測は難しい。そこで地元の高校などを通じて市民に観測機を設置してもらっている。
市民参加は20年ごろから本格化し、現在約70台の観測機が市民宅にある。参加者は10月末に観測機を受け取り、4月に返送。データはインターネットで共有され、自分で確認もできる。
榎戸准教授は「論文を書くことだけではなく、市民とともにデータを取る共同作業に意義があると思えるようになった」と話す。AIが既存知識を瞬時に答える時代だからこそ、「科学研究の新しい価値を創出できるのではないか」と考える。
一方井教授は「市民の側にも意識変化が見られています」と話す。参加者からは「子供が雷や天気に興味を持つきっかけになった」といった声が寄せられ、研究のイメージが変わるきっかけになっている。観測場所や時期について、市民ならではの提案もあり、「地元の知恵を研究に生かし、雷の発生状況がより正確にわかるようになってきた」と榎戸准教授は話す。
プロジェクトでは毎年、市民と研究者が参加するイベントを開催し、雷を題材に絵を描いたり俳句を詠んだりする。冬の雷は「ぶり起こし」と呼ばれ寒ブリ漁の知らせとされてきたが、地域の風物詩を再発見する機会にもなっている。一方井教授は「科学研究という枠を超え、地域の文化、コミュニティーの形成など、市民社会の中に息づく科学として定着させることができたら」と期待する。
科学を社会に開く
シチズン・サイエンスは、専門化が進み社会から見えにくくなった科学を開く試みとして世界的に注目される。ユネスコは「オープン・サイエンス」を提唱し、科学知識の創出・評価・コミュニケーションの過程を社会に開放することを求めている。
科学を伝える現代的な意義は、知識の共有だけでなく、ともに科学のあり方を考え社会に生かすことにある。AIと共生する社会では、専門家だけで決められず市民の声が重要だ。科学不信や分断があっても、ともに科学技術の進展を考えることは大切だ。
一方で、専門知識の差がある中で市民が議論に参画するハードルは高く、声を研究や政策に生かす仕組みの実装も容易ではない。理想への道のりは長いが、大学での学びや地域での活動、シチズン・サイエンスなどを通じて、科学が少しずつ社会に開かれていくことを期待したい。



